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太陽の子  (冬の号) bP14   2006年  1月


『障害者自立支援法』施行について思うこと

日立重症心身障害児(者)を守る会
会長 佐 藤 芳 昭


   皆様明けましてお目出度うございます。平成と年号が変わってから早くも 18年になります。まさに光陰矢の如しです。
 さて、平成17年10月末に臨時国会で「障害者自立支援法」が可決成立し、 18年4月から順次施行されることになります。この法律はこれまでの身体・ 知的・精神の障害種別に分かれた施策を一元化し、サービスにかかる費用を国 や県、市町村で準備する一方で利用者に原則一割の定率負担を導入するもので、 今年から障害児(者)に対する色々な制度が大きく変わり、細部については政 令や省令により次々と施行されることになります。平成15年4月から支援費 制度が実施され、その制度の内容がまだ完全に理解出来ないうちに、支援費制 度に変わり、前述の法律により新たな福祉施策が実施されます。従って、私達 はこの支援法の細部にわたる制度を順次勉強し、理解して上手にこの制度を利 用するようにしたいものです。
 施設入所者と在宅者とは自ら部分的にサービスの項目や費用負担額などが異 なりますので、理解するまでにはある程度の時間と粘り強さが必要と思います。 しかし、これも可愛い子供のためです。そうは言いましてもなかなか大変です ので、仲間同志での情報を共有化することも非常に重要な事と思うのです。 このためには、行政からの情報を遅滞なく流布すること、又、自分が得た情報 は仲間に話し、自分だけの情報に止めないことなどが肝要ではないでしょうか。 平成18年からは障害児(者)にとっては誠に大変な時代になることは必至で す。これを頭に入れて、変わり行く障害児者の福祉行政に対して常に耳を傾け、 情報把握と共有化をしつつ、障害児(者)が一人ももれなく障害に合った福祉 サービスを亨受出来るよう、お互いの絆を強めていくことが大切ではないでし ょうか。



不安な道を進みつつ

つき組 浅 川 秀 吾


   「あれは夢だったのかなー」
 疲れを覚えて心がため息をつく時、私はあの出来事から三ヶ月が過ぎようと している今でも、そうつぶやきたくなります。父の死。それは私がおぼろげに 予想していたものとは違う、ある意味で事故死より意外な有様での、あの世へ の旅立ちでした。
 その時の事、つまり外出中の父が倒れて救急車で運ばれた、との報に接した 日が何日だったのか、いま冷静になって思い出そうとしても、6月前半の火曜 日だった事までしか覚えていません。あとになって、いくつかの状況証拠によ ってしか、その日をたどれない程、やはり私は混乱していました。最初母が搬 送先の病院へと向かった時は、状況が判らない事もあってそれ程深刻には考え ていませんでしたが、二時間ほどして太陽の家の菊地さんと櫻井さんが留守番 をしていた私の所へ駆けつけ、「お母さんから頼まれたので、こちらに来まし た」と告げられ、その時から長期戦に入ったらしい事は、薄々覚悟したのでし た。どの位の時間が過ぎたか覚えていませんが、父が手術を受けている、との 報が入り、私は午後4時になろうとするころ太陽の家を経由して愛正園に短期 入所する事になりました。
 愛正園には、太陽の家のかつてのクラス仲間である伊藤幸子さん等がいたお 陰でかなり精神的な不安は軽減されましたが、やはり、将来に対する予想が思 い描けない事は、大変つらいものです。「この生活、いつまでかしら」とか、 「ひょっとしたら、このまま此処に居続けるかも」と、覚悟していなかった事 態を前に、様々な想いが浮かんできました。
 ただ、そんな不安な中で、一つだけ確かめられた事もありました。私は今回 初めて5日以上他人の介護による生活を体験したのですが、自分の体の不具合 をちゃんとほぼ支障なく伝えられる事を確認できたのです。そして、そんな自 分へのご褒美のように愛正園の皆さんには助けられ、また入所中数回面会にい らして下さった方々もありました。本当に有り難かったです。
 6日後、父の手術を担当された医師の説明を、母と聞く時が来ました。 「出血による脳幹圧迫でそこが腫れており、意識の回復はないでしょう」とい うのが、医師の見解でした。そしてそれを証明するように、父はその4日後、 息を引き取ったのです。
 文の冒頭にも書いたように、あっけない死でした。それでいて、事故死とも 違って命の幕が下りた、というインパクトも曖昧で、やはりこれは、現代医療 によって演出された死でもあるように、私には思えました。
 考えてみれば、自分がいま肢体不自由者として生きているのも、出生当時の 医療が演出した面もあると聞くので、人は社会に生かされる存在でもある、と 今はしみじみ思います。少し不安ですが、皆さんと幸せを分かち合える生き方 を目指したいと思います。



あこがれの電車の旅をして思うこと

療育主任 井 関 えり子


   太陽の家の、ここ数年行事となっている電車の旅はJRの駅の整備により随 分様変わりしてきました。目的地を水戸にすると昨年までは、まず、駅の階段 がネックになり、少ない介助者で危険なく行く為には、のぼり乗車場所を日立 駅の海岸口か、おおみか駅の階段のない駅に設定し、帰りは、多賀駅で降りる ようにしました。
 水戸駅では、車椅子が乗車できるエスカレーターを使用します。駅員の方が、 2〜3人付いて下さり、車椅子乗車用に設定します。車椅子の方4人ぐらいで すと移動時間も加え30分掛かります。その間は、一般の方の使用ができなく なります。そのうえ駅での乗り降りの危険性のないよう、乗車駅と降車駅に往 復の利用時間と障害者の人数、介助者の人数、乗車車両を前もって連絡する必 要がありました。どんな事前準備があっても、私達のために、待っていて下さ る駅員の方や、手を貸してくださる一般の方とのふれあいも経験できやはり、 電車の旅は楽しみのひとつでした。
 回を重ねるごとに、駅員の方の対応もスムーズになり、昨年の4月からは、 水戸駅と多賀駅にエレベーターが設置され、駅への連絡も必要なく、往復1時 間近くのエスカレーターの移動時間も考えずにゆったりと過ごすことができた のです。他にも、東海駅に、エスカレーターがあり利用しています。利用する 側もアンテナを張って情報を集めどんどん外へ出てゆくことが大切だと思いま す。
 水戸までの30分の電車の旅は、段々と短く感じられ、もう少し遠くへ足を 伸ばしたくなってきました。内原のショッピングが楽しめる日もそう遠くない かな、いやスーパーひたちで東京なんてのもいいかなと夢は広がります。電車 内の車椅子用スペースの確保と排泄(オムツ替え)のスペースが整えられたら どこまででもいけそうな気がします。



日立守る会だより

日立重症心身障害児(者)を守る会

20歳の誕生日を迎えて

酒井  渉(父)


 11月22二日、我が家の「渉」が20歳の誕生日を迎えました。「20歳 になった」「成人を迎えた」という実感はあまり感じられません。「太陽の家」 に提出するための写真を選ぶために、アルバムを探しながら家族で、「こんな 時もあったね」「こんなこともしたね」「こんなところにも行ったんだね」等 と懐かしく振り返っていました。
 生まれてから3歳を過ぎる頃までは、ほとんどが日立総合病院での生活でし た。熱を出しては入院、痙攣を起こしてはまた入院とその繰り返しでした。
 「母子療育ホーム」に通うようになって、多くの方々と知り合うことができ 「渉」も私たち家族も大きく成長することができました。
 「勝田養護学校・訪問教育部」では、小・中・高と12年間もお世話になり ました。担任の先生や訪問部の先生方と一緒にたくさんの楽しい思い出を残す ことができました。
 その間も、「療育ホーム」で18歳の誕生日までお世話になり、その後「太 陽の家」にお世話になるようになりました。成長するにつれて、年齢により障 害者の待遇が異なることが、分かりました。
 「太陽の家」での行事や話し合いに参加させていただき、障害者に関するい ろいろなことを学習しなくてはならないと考えさせられました。これからは、 できるだけいろいろな行事に参加させていただき、障害者やその家族のために できることのお手伝いをさせていただきたいと考えています。
 先日の誕生日には、姉がバースデーケーキを作ってくれました、おばあちゃ んは、手編みのセーターを編んでくれました。家族で楽しい誕生会ができまし た。これからも「渉」を中心にして、明るく楽しい生活をしていきたいと思っ ています。



大輔と共に生きて

河野 克典


 大輔が20歳になった。長いようでもあり、短いようでもある。成人を迎え るなどということは考えも及ばなかったので、とてもうれしく思っている。
 大輔と親子という関係で20年間暮らしてきたわけだが、いろいろなことを 考えさせられたというか、教えられたと思う。その中でも特に深く考えたこと は、『人間は何のために生まれてきたのだろうか』ということだ。大輔が我が 家に生まれてこなかったら、決して解答が出るはずもない、こんな小難しいこ となど考えることもなく、20年が過ぎてしまっただろう。
 「生きがいの創造」(飯田史彦著)に寄れば、赤ちゃんは親を自ら選んで、 さらに学ぶべきテーマを決めて生まれてくるらしい。とすれば、大輔のように、 食べることも、笑うことも、歩くことも、見ることもできない人間にも、本人 にとっても親にとっても、そして大輔にかかわるすべての人にとって、何らか の意味があることは疑いのないことのように思える。まさにこれが、大輔の生 まれてきた理由であり、存在価値であろうと思う。これは存在価値がないと生 きていてはいけないということではなく、どんな人間にも生きていく理由があ るということだ。かわいそうだなどとは思わずに、周りの人間は、この世に生 を受けた子供たちの存在を肯定できるように、意識を改革して行く事が必要で はと思う。
 もちろん我々親も子供たちと同じように学ぶべきテーマを経験しつつあるの だから、お互いにがんばっているな、などと思いながら生活していこうと思う。
 あと何年大輔と共に生活できるかはわからないが、ひとつだけ実現したいこ とがある。いや夢の中でもいい。会話がしてみたい。
 「大輔、そろそろ起きてお父さんとおしゃべりしようよ。」



秀ちゃん

長谷川秀世(母)


 昭和61年、1月31日、家族の一員になった秀世ちゃん。
 数ヶ月は病院にての生活で、一日、50ccのミルクを飲めず心配しました。 父さんと姉さんは、毎日見舞に行ってはかわいいョ、元気だったョ、と毎日話 をしてくれました。退院後は音に敏感で夜はなかなか眠る事が出来ず、一晩中 ダッコをしていましたネ。
 小学校に入学してからも音楽にはどうしても馴染めず緊張し、体がこわばり 心配しましたが無事卒業できました。大好きな授業は先生の膝の上でお話を聞 いている時、でもお母さんの足音、話し声が聞こえるとオー、オーと呼んでい ましたネ。思い出しますと涙が出たり、笑いが出たり、一人楽しんでいます。 卒業式はお祝の言葉等をいただき帰宅後、家族全員で祝い、おめでとう、ヨカ ッタネ。
 平成15年8月の朝、秀ちゃんのベットへ、秀ちゃんの顔は青ざめ仮死状態 になっていました。戸惑いながら救急車を呼び日立病院へ、入院一日で意識が 戻り元気に退院できました。
 20年間、楽しかった事、苦しかった事、色々ありました。家族全員、秀ち ゃんの笑顔に元気をもらっています。
 秀ちゃんは我家の宝ものです。
 秀ちゃんこれからも宜しくネ。


ご寄付ありがとうございました

○次の方から寄付をいただきました。(敬称略)10〜11月
 多賀公民館募金箱 有馬郷子、善和会 黒澤弘明、大みかゼミナール鈴木稔、 浅川ちよ、人形劇かくれんぼ、上出光子
○次の方から物品の寄贈がありました。(敬称略)10〜11月
 椎名則夫、退職公務員連盟日立支部長 所 功雄

△お知らせ▽

《1月》・成人祝い
《2月》・豆まき会
《3月》・ひなまつり
    ・おたのしみ会


△おめでとうございます▽


 10月28日(金)、平成17年度日立市社会福祉協議会会長顕彰式で、長 年のボランティア活動の功績により、次の3名の方が表彰を受けられました。
 浜中千穂子、小林好子、北野千恵子(敬称略)


△お悔み▽

 ほし組の菅原徳男さん(32歳)が、11月20日に亡くなりました。心か らご冥福をお祈りいたします。

△アドレスが替わりました。▽

・ホームページ
 http://www.taiyonoie.com
・Eメール
 mail@ taiyonoie.com

ホームページでは、次のメニューにより色々な紹介・案内をしています。 ○メニュー@ ・理念や事業内容等を紹介 ・家だより…太陽の家の月刊機関紙です。行事内容が確認できます。毎月更新。 ・太陽の子…年四回発行の季刊紙です。 ・ボランティア…ボランティア活動予定表を掲載しています。 ・福祉情報・施設リンク集・他。 ○メニューA ・掲示板…誰でも何でも自由に書き込めます。 ・自立支援…自立生活を目指す人たちの意見交換の場です。 ・写真館…行事などの写真を紹介しています。他。 ○メニューB ・お知らせや行事案内をしています。 太陽の家へのご意見やホームページのご感想などもぜひお聞かせください。

編 集 後 記


 新春、太陽の家では3人の利用者の方が成人を迎えますが、本当におめでと うございます。ご父兄の方から感想を寄せて頂きましたが、文章には表しきれ ない程の喜びやご苦労があったことと思います。今年も皆様方のお力添えを頂 戴して歩んでいきたいと思いますので、よろしくお願い致します。(S記)