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太陽の子  (春の号) bP15   2006年  4月


日立守る会40周年を祝して

日立市太陽の家運営委員会
会長 中 山 達之助


   今から40年前、テレビだけを友達にして生活する子、どこへ出て行ってしまうか分からないので、 座敷牢のようなところで身の安全を守っていた親の智恵、その生活状態は千差万別でした。そして、 親亡き後の我が子の将来を案じて自殺してしまった親たちの多かった時代、この事は障害の軽重に関 係なく皆さん同じ悩みでした。
 一方、全国重症心身障害児(者)を守る会は、北浦会長を先頭に、全国の支部役員とともに厚生省や、 大蔵省、関係国会議員のもとに「一人ももれない弱い命を守ること」に陳情、請願を繰り返し、 理解と支援を願ったものでした。その甲斐あって重症心身障害児(者)の法制化がなされ、入所施設や 通園施設が増設され、現在では、親亡き後の心配が軽減され、一応の安心を見るようになりました。
 しかし、昨年10月31日に障害者自立支援法が成立してから、重症心身障害児(者)の自立とは どのような状態を指し、どのような支援をすることになるのか、とても理解しにくくなりました。 昨年クリスマスの日にサンタクロースをして太陽の子たちにプレゼントを差し上げましたが、ほとんど の方が自立支援によって一生安心した生活が持続出来るとは考えにくかったです。
 守る会40周年を迎えて喜ばしいことではありますが、新たな法制化が、わが子の福祉の後退になら ないよう、会員みんなで見守る必要があると思うこの頃です。


次につなげる40年に

日立重症心身障害児(者)を守る会
会長 佐 藤 芳 昭


   日立重症心身障害児(者)を守る会は今年で発足40年になります。この40年の障害者福祉について その変遷を見ますと、相当な勢いで伸びて来たのではないでしょうか。その要因の一つは何と言っても 障害者自身の声、そして親御さん達の声があったこと、二つ目はマスコミを含めた社会の人々の声、 それらを真摯に受け止めた行政の対応であると思います。当初は経済的支援から始まり、教育面、 国際障害者年を見越しての推進本部の設置による障害者対策に関する長期計画策定と障害者対策推進本部 設置等々、相当なスピードで障害者福祉施策が向上したのではないでしょうか。私どもの日立重症児(者) を守る会も世の障害者福祉の変遷と合わせ多くの方々のご支援、ご協力を得ながら今日まで頑張って 来られたのであり、この場をお借りして深く感謝申し上げる次第です。
 当守る会の発足当時は障害児(者)を持った家庭は世間から身を隠すようにひっそりとした生活を送って いたように記録などから伺われます。当時の社会(地域を含め)はそんな世相だったのでしょう。 これを思うと40年間の時の重さをひしひしと感じるのです。
 最近は障害を持つ人達の周囲の環境が大きく変わろうとしており、平成の大変革と言えるのではないで しょうか。ある知識人は障害児(者)福祉の逆戻り時代だ。又ある人は極端な表現でありますが暗黒時代 到来か?などと、あまりプラス指向の話をされていないのです。しかし、私たちはそれらの情勢を十分認識 しつつ、マイナス思考をプラス思考となるよう常に声を出していくこと、そして多くの人達から沢山の共感 を得られるような活動を進めることが重要であると思っております。
 皆さん次の40年後を目指してお互いに助け合っていきましょう。


守る会40周年

日立市太陽の家運営委員会
副会長 清 宮 烋 子


   かしま児童館の集会室で、日立守る会が発足して40周年を迎えることは、先ずは“おめでとう”と言う べきなのでしょうか。その二年位前から準備のための動きはあったわけですし、ごく個人的な話でいえば、 小林提樹先生を中心に発刊されていた“両親の集い”にはじめて出会ったのは、昭和35年のことですから 45年の歳月を何らかの形でつながっていたことになります。約半世紀ですから、出会いと別れが沢山あって、 私の人生に一番大切な「生命を考える」ことを教えてもらったと、心から感謝しています。
 みんなと同じように私も年をとりましたので、若い時代のようにお役に立てることはなくなりましたが、 長い間、その側にいつも居たということは、相談相手にはなれますし、51年間日立市民であり続けられた 中での人脈とか、知識もたまには役に立つこともある、と思っています。その中で「太陽の家」の存在は、 日立市が全国に自慢出来る素晴らしい成り立ちと運営を重ねて来たと思っているのに、国の福祉施策が 変わったというだけで、今までの形を続けられないという事が、何とも認識出来ない思いでいっぱいです。
 地方を、現場を大切にすることが国の目的ならば、日立市が市政をかけても守り通すだけの「太陽の家」 の存在と思うからです。平等に我慢すればよい事ではないと思います。全国にさきがけて創り出したことを、 その理念を守り続けて欲しいと思います。とは言っても、何年か前に新聞紙上を賑わした25年後は、 50年後は、という記事にあったように日立市が独立国にでもならない限り実現出来そうもない事を考える より、力を合わせて、知恵も出し合って確かな未来を掴みとる事を考えなくてはいけませんね。 ほうり投げられたボールを、どんな受け止め方をしたらよいのか、それをどう転がしたらいいのか、 目指すものは変わらないのですから実行あるのみです。


今後とも二人三脚で

日立市太陽の家
園長 小又 克也


   日立重症心身障害児(者)を守る会の結成40周年おめでとうございます。
 昭和41年に、『一人ももれなく守る』という崇高な理念に基づいて結成された日立守る会ですが、 その後守る会の運動の中から、昭和45年には『日立市太陽の家』が開設されました。重症児(者)の通園 事業がまだ法的には認められていない時代に全国に先駆けて実現されたわけです。その後今日まで、 太陽の家と守る会は共に支え合いながら、重症児(者)の幸せを願って歩んで来ました。
 さて、昨今の福祉制度の急激な改革を見ますと、特に私たち重症児(者)にとっては、将来を設計する ことが難しくなったようにも感じてしまいます。自立支援法の中でいう、いわゆる『自立』の理念をどの ように活かしていくのか、安心できる明日を創造するためにも守る会との二人三脚は益々重要です。 守る会の皆様、今後ともよろしくお願い致します。


日立守る会だより

日立重症心身障害児(者)を守る会
福祉制度のうつりかわり
有 馬 こ う


   平成15年4月、今までの措置制度も一部残しながら、支援費制度へと変わった。そのことは私にとってまだ新しいことで、どんなサービスを受けられるのか期待と不安が入りまじった。
 そして、デイサービスは週二回太陽の家へ通所、短期入所は愛正園に月七日の契約をして利用することになった。これに関しては前と大きな差は感じられなかった。しかし、居宅サービスが利用出来るようになったことは大きな進歩であり、私も娘も非常に助かっている。特に娘は六人のヘルパーさんとのふれあいが出来、喜んで受け入れ、私も胸をなでおろしたものだ。又、費用の負担がなく助かっている。
 支援費制度がまだ定着しない状況の中で、平成一八年四月から「障害者自立支援法」が施行される運びとなった。身体・知的・精神の区別を外し、一元化されるという。そして、一番大きく変わり、関心の深いことは、サービスに係る費用の一割を利用者が負担するということだ。今までの生活に直接響いてくる。
 障害の重い娘にとって、自立などということはあまりハードルが高すぎて考えられない。しかし、少し見方を変えて障害者の自立を考えてみると、色々な人々の支援を受けながら自分の人生を送り、その中で物を生産することは出来ないけれど、心に何らかの光になれることも考えられ、これは漠然とではあるが自立ではないかと思うこともある。
 自立支援法は利用者本人がサービスを受けて、費用の一割負担となる厳しい制度になったと思う。ある所の話では、障害者福祉は昭和三〇年代に逆戻りではないかと言った話をする人、又、新聞などに依ると、早く死んでくれということで、弱者切りすて施策になってきたと書いていた。障害者を支えてくれるのは、国や自治体の役割ではないのかと思っている。勿論自助努力は必要ではあるけれど。
 娘は在宅で暮らしたいという気持ちは強いようで、新しい法律に望みがあるように思われる。親亡きあとは施設でと考えていた私に、在宅での生活も視野に入ってきた。行政がしっかり支えてくれるのであれば、応分負担も心よく受け入れられると思っている。大切なことは障害者福祉の後退にならないように願って止まない。


頑張った学校生活

ほし組 田 尻 静 香(母)


 静香が施設で最初に通った母子療育ホームでは五年間、機能訓練をしていただきました。療育ホームでは、宿泊学習、校外学習など楽しい時間を友達と一緒に過ごしました。
 その後、母子療育ホーム内にあった日立養護学校助川分校に入学して二年生まで勉強をしました。小学生になってから、水泳をワールドスイミングに通って習いました。コーチと水中を歩く・泳ぐなどをして、五年間、水泳をつづけました。静香は学校のプールの時間が大好きでした。そんな中、水戸養護学校に小学三年生の時に転校しました。
 静香を六時におこし、家を六時四〇分頃出発しました。東海にスクールバスが迎えにくるのが七時三〇分です。東海から学校に着くのは、八時三〇分頃です。静香も大変でしたが病気もせず、小学校、中学校、高等部と十年間元気に通学することができました。水戸養護学校では同級生が二〇人で、男子一五名、女子五名でした。学校の行事は、水養祭、運動会、校外学習、修学旅行など楽しい思い出がたくさんありました。静香も高等部、三年生の一学期は寄宿舎での生活を体験しました。静香にとって、友達と生活をして協力しながら自分で出来ることは、自分でする勉強をしたと思います。本当に大切な時間を過ごしました。
 今は、太陽の家と東海村の「絆」に週二回ずつ通所しています。「絆」では一人一人が、自分にあった作業をしています。手芸班、陶芸班、木工班です。音楽の活動・ポコ・ア・ポコのコンサートなど発表会があります。毎日音楽の練習は一時間ぐらい練習しています。
 これからも、太陽の家のお友達や「絆」の皆さんと一緒に頑張っていきたいと思います。


「支える会会則改正のお知らせ」

 このたび、当支える会理事会(3月17日開催)において、当会で利用しております簡易保険団体加入について、日本郵政公社の団体取扱い規程の変更に伴い、次のように会則を変更しましたのでお知らせいたします。
 今回の改正は、日本郵政公社より早急の対応を求められておりますので、会則第13条の規程により、文書総会としましたのでよろしくお願いいたします。尚、ご意見のある方は5月31日までに当会事務局へお知らせ下さい。主な改正点は、別添会則あるいは太陽の家ホームページ内「支える会コーナー」でご確認頂けますのでよろしくお願いいたします。
 ※お問い合わせは
  日立市太陽の家支える会事務局
   TEL0294−22−2632


ご寄付ありがとうございました

○次の方から寄付をいただきました。(敬称略)12月〜1月
 日立ホーム・アンド・ライフ・ソリューション多賀向上会 黒澤弘明 小又千賀子 小又辰吉 中山達之助 浅川ちよ 日立厚生医院 嶋崎和夫 日立厚生医院内仁和会 くりや 小野瀬徳之 とく名 佐藤光子 とく名 善和会
○次の方から物品の寄贈がありました。(敬称略)12月〜1月
 松本スイ 菊地英子 与澤進 有馬こう 椎名則夫 中田美知子 菅原マキ 善和会 宮田尚子 人形劇かくれんぼ
△お知らせ▽
《4月》・お花見
    ・内科検診
《5月》・春の遠足
《6月》・父親奉仕作業
    ・三者大会
○新しいお友達
 大森郁子さん つき、にじ組のメンバーとして十王町から。よろしくお願いします。

編 集 後 記
 櫻咲く季節に日立守る会が発足40年を迎えた。命を守る活動に終わりはない。たゆまぬ努力に敬意を表し、更なる発展を願います。(S記)