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太陽の子  (夏の号) bP16   2006年  7月


障害者自立支援法から3カ月

日立市太陽の家 園長 小 又 克 也


障害者自立支援法が4月に一部施行されてから3カ月がたち、施設利用者の保護者や関係者から いろいろな声が聞かれ始めた。
全国的な情報を「福祉新聞」等で見てみると、「新障害程度区分の見直しをしてもらわないと、 必要なサービスが受けられなくなってしまう」、「報酬減に伴い施設運営が困難になる」、 「仕事に来ているのに、給料よりも施設利用料が高くなる」などが目に付く。
一方、我々の周辺からも、「サービスを利用しないで一人で家にいる」、「自分が通所を休むと 施設の収入が無くなることに対して気がねする」、「運営費の減に伴う職員数の削減などサービ スの量と質の低下を懸念」など非常に大きな問題が起こり始めている。
これらの問題は早急に解決すべきことであろうが、肝心の障害者自立支援法の理念がどこかに 忘れ去られてしまったかのような感があることも否めない。このような時こそ、我々施設側、 サービス提供側としてはその理念を改めて見つめ直す必要があろう。『どの障害者も同じ制度の もと地域で自立した生活を』、この大きなテーマの実現を目指さすことが今大切なのではなかろうか。
個々の施設が提供できるサービスが限られている中で、施設間そして行政との連携や協力を強固にし、 『このサービスにならいくらでもお金を払いたい。』、利用者がそう思えるようなサービスを提供する、 目指すところはそこに違いない、と私は思っている。

サーカスを見学して

指導員 櫻 井 栄里子


  4月から5月にかけて、社会福祉事業協賛を通し、キグレサーカスへの招待を受けました。ほし・ひかり組で四班、つき・にじ組で一班の、計五班のグループを作り、一班につき四〜五人程度の小グループ制で見学しました。  午後の部一時からの公演を見学する為に、各自で昼食を済ませてからの出発になりました。会場は水戸の千波湖畔にあり、片道一時間もかかる長い道のりだったが、突然姿を現わした巨大なテントを目にすると、疲れも吹き飛び、皆期待に胸を躍らせます。  テント内に入り、薄暗い会場の中でワクワクしながら演技を待ちます。そして遂に開演軽快な音楽に乗って登場したピエロ達が、すぐ目の前でボールや輪を使ったジャグリングを披露してくれます。鮮やかな手さばきに思わず見入ってしまいます。一本網アクロバットでは、美しい女性二人が柔軟性を駆使し、一糸乱れぬ演技を見せてくれました。日本古来の演目、羽根出しでは、不安定なハシゴの上で絶妙なバランスで次々と技を出す姿に、ドキドキはらはら。足芸では、まるで足に吸い付くように操られる傘に大拍手どの演技も目が離せません。  おもちゃのバイクに乗った犬が登場すると、動物ショーの始まり、トイプードルがハードルをジャンプしたり、後ろ足で立ち上がって歩く姿は愛嬌たっぷりです。サルがポニーを自在に乗り回す姿に思わず拍手。その他、空中ブランコや空中アクロバット等の演技を目にし、もう皆で目が点でした。大はしゃぎで声を出したり拍手したり、目で追ったりと、利用者全員が大満足する事が出来ました。  時間の都合上、前半の演目しか見る事が出来ませんでしたが、夢のような時間を過ごせて、皆大感激だったと思います。記念にプードルとの写真も撮り、思い出になりました。また是非行きたいですね。 サーカスに出演し名演技を見せてくれたプードル犬とピエロさんと一緒にパチリ。 ハラハラ、ドキドキのすばらしいショーを見せてくれてありがとうございました。  紙芝居 「お花のてっちゃん」のご紹介 保育士 井 関 えり子   以前、つき組が紙芝居「お兄さんを助けたりんご坊や」を製作した時、浅川秀吾さんは絵を描く友達に対し、登場人物のイメージを足でパソコンで絵を作成して説明していました。  今回、パソコンで描いた絵で紙芝居を作ってはどうかとお願いしたところ、早速、挑戦してくれました。内容は彼の心根が分かる優しいストーリーでした。  自分で考えた文章に合った五人の登場人物の性格、年齢、場面に合った表情の表現の仕方が、どこをどう強調したら人物像が出るかが考慮されており、動かない紙から文章に想像を膨らませた感じ方が出来るものでした。  彩りもきれいで季節、内容に間違いはないかがチェックされており、彼の持つ博学と生真面目さの現れを感じました。彼の感性に改めて感心させられ、表現力の豊かさ、挑戦する力、継続して努力する姿など沢山のことを学ばせて頂きました。  彼の創作したお話と絵から出来た紙芝居、そして、読み手となり思いを伝えた紙芝居は、シビックのアトリウムで公開(昨年十二月、障害者の日に合わせた催し物“ワクワクパーク”にて)された時、観客の最前列で真剣なまなざしで聞き入っていた可愛らしいお客さんの反応が何より胸に残りました。多くの方々にも見て頂けたら、と思っております。 パソコンのキーボードを足で打って描いた絵は鮮やかな色合いです。 日立守る会だより 日立重症心身障害児(者)を守る会 レッツ エンジョイ  つき組 大 森 郁 子   今年に入って「太陽の家」の“つき・にじエンジョイクラブ”の仲間になりました。  昨年暮れに見学した時、職員も利用者も笑顔で迎えてくれて、案内された部屋は幼稚園を思い出す光景で、年令を忘れ、どこかで固まっていた何かが溶けていく感じを持ちながら、毎日通ってみたいという思いになりました。  四年程前から車椅子を使うようになり、在宅においては、ヘルパー介助で徒歩圏内の外出ばかりで、いつも同じ所にしか行けない不満や不便さにひたすら耐える日々でした。それが“つき・にじ”の園外行動によって解消され、非常に嬉しく、楽しみが増え、張り合いも出てきました。まさに“エンジョイ”クラブです。  職員の対応は、穏やかさや温かさに満たされ、朗らかで楽しく、安心して頼れます。  かつて出来ていた事が、障害によって出来なくなった現実をなかなか認められずにいました。出来ない=苦手が増える中で、通うようになってからは「みんなに会いたい」という思いと「楽しさに浸りたい」という思いが加わって、苦手な事にも挑戦しようとする自分の変化に気づきました。心のリハビリも兼ねていると思います。  私たちの行き先は、年度末にみんなで意見を出し合います。私にとって初めての所へ行くことが多く、毎回ウキウキわくわくです。時には県外へ出られると知り、さらにドキドキです。私の行動範囲の広がりを知って、周りの人たちは驚き、そして喜んでくれました。  要望として、個人の事情に応じて活動時間の延長があります。仕事をする(自営業)母にとって仕事に専念できる時間をできるだけ長く確保したいようです。私自身も楽しめるのでそうなれば万歳です。  園外に出てしまうと、いまだに不慣れな仲間とのコミュニケーションを計るのは難しいので、工夫しながら理解し合えるようになりたいと思っています。 かん暦      おめでとう 斉 藤 喜代子   昭和二十年六月十一日に道子があばらやでうまれてもう六十才になりました。おめでとう。かん暦だなんて早いものですね。  ちいさい時はよくねつをだしました。多賀病院にはた先生がいる時でした。せきずいから水をとりながらちゅうしゃをしましたね。  多賀病院に四十日入いんしました。  家にかえってがんばりました。それから、中島ちゃこちゃんと太陽の家に行くようになってほんとうにあかるくなりました。  守る会のみな様のおかげです。  先生や皆様のおかげです。ありがとうございます。 (※ご高齢のお母さんが思いを込めて書いて下さいました。) 雑  感    私は毎朝六時四十三分頃、NHKラジオから流れる「ビジネス展望」の放送を聞いておりますが、つい先日は今世間を賑わしている村上ファンドの話をされていました。その内容は、安田善次郎と大倉喜八郎を例に村上世彰氏の会社経営に対する姿勢を批判した内容でした。安田氏は人様から集めた資金は多くの人達の役に立たせるべきである。よって、運営資金面で困っている人達に一定の金利をもらって貸付けて役に立ちたい。かたや、大倉氏は安田氏と全く逆で、人様から集めた資金で貸金事業を行なうなどはやるべきでなく、商品売買、輸出入業などを行ない、資金の有効利用を進めたとの事であった。最終的には両者とも大成功し大財閥の基礎を築いた偉大な実業家であった。  ここで村上世彰氏や堀江貴文氏と前述の実業家との比較をし、昔の人達は一つの哲学をもっていた。そして一本の筋が通っていた。しかし、今の人達は、自分なりの哲学がなく刹那的であり、そして社会的貢献心、すべてに対しての感謝する心などに欠けており、自分さえ良ければ、と非常に幼稚であるというような話をされていました。今の日本全体がある意味で危機状態であるのかも知れません。  最近は楽しいニュースは殆どなく、ある政治家はこのような世の中になっているのは戦後の教育の影響であると言っておりましたが、確かにその影響は多かれ少なかれあると思います。特に親の子供に対する躾が大きく左右しているように思います。その政治家は現在の世の中を治すには一世紀位かかるのではないかとも言っておりました。皆様はどのように思われますか。 (S記) 4月 お花見の季節がやってきました。平和通りの桜も満開になり、街を行きかう人々の服装も春めいてきました。車椅子の散歩も気持ちよく出来ました。 5月 みんなで植えた球根。大切に育てた甲斐あって、チューリップの花がきれいに咲いて、ベランダを明るく彩ってくれました。 6月 手話サークルの皆様が見学にやってきました。その後、曲に合わせて手話を披露してくれました。秋のふれあい運動会ではお世話になっていましたが、楽しい一時でした。 7月 助川中学校1年生16名が「こころ豊かな体験学習」で来園し、1日を利用者の皆さんと楽しく過ごしました。今日の貴重な体験を糧に未来へ。 「日立市太陽の家支える会」     をご存知ですか? 「日立市太陽の家支える会」は、「日立市太陽の家」を継続的に支援する市民の団体です。 当会は、郵便簡易保険の団体加入から得られる割戻し金を寄付する会員と下記のように年会費を寄付する会員により構成され、日立市太陽の家を支援しております。 日立市太陽の家への寄付金は短期保護等の自主事業で重症児(者)や家庭の福祉向上の為、有効に活用されています。 “みなさまの暖かいご協力を          お待ちしています” 個人賛助会員 1口  千円 (年額) 法人賛助会員 1口 五千円 ( 〃 )  ※お問い合わせは  日立市太陽の家支える会事務局  TEL0294−22−2632 ご寄付ありがとう      ございました ○次の方から寄付をいただきました(敬称略)二月〜六月  黒澤弘明 後藤善弘 中田美智子 日立市オパール会 菊地英子 上出光子 親切会関東支部支部長高田佳昭・根矢芳信 有馬郷子 クリスマス実行委員会 前田勝子 村田理恵 善和会 ○次の方から物品の寄贈がありました(敬称略)  酒井純 有馬こう 椎名則夫 浅川秀吾 橋本敦夫 村田英一 薄井澄子 菊地英子 前田勝子 古宮ヤイ子 △お知らせ▽ 《七月》  ・助川学区夏まつり参加  ・プール指導 《八月》  ・海水浴  ・夕涼み会 《九月》  ・ボランティア体験教室  ・避難訓練 編 集 後 記  話は古くなりますが、昨年の暮にN・Tさんから一冊の本を頂戴しました。市のホームヘルパー制度が発足した初期に活躍した方で、重障児(者)やお年寄の介護をとおして、生活に密着した様子を詠んだものでした。あらためて先人達の努力と熱意の結果が、現在の福祉に引き継がれていることに深く感謝する次第です。      (S記) 会長 中 山 達之助

   今から40年前、テレビだけを友達にして生活する子、どこへ出て行ってしまうか分からないので、 座敷牢のようなところで身の安全を守っていた親の智恵、その生活状態は千差万別でした。そして、 親亡き後の我が子の将来を案じて自殺してしまった親たちの多かった時代、この事は障害の軽重に関 係なく皆さん同じ悩みでした。
 一方、全国重症心身障害児(者)を守る会は、北浦会長を先頭に、全国の支部役員とともに厚生省や、 大蔵省、関係国会議員のもとに「一人ももれない弱い命を守ること」に陳情、請願を繰り返し、 理解と支援を願ったものでした。その甲斐あって重症心身障害児(者)の法制化がなされ、入所施設や 通園施設が増設され、現在では、親亡き後の心配が軽減され、一応の安心を見るようになりました。
 しかし、昨年10月31日に障害者自立支援法が成立してから、重症心身障害児(者)の自立とは どのような状態を指し、どのような支援をすることになるのか、とても理解しにくくなりました。 昨年クリスマスの日にサンタクロースをして太陽の子たちにプレゼントを差し上げましたが、ほとんど の方が自立支援によって一生安心した生活が持続出来るとは考えにくかったです。
 守る会40周年を迎えて喜ばしいことではありますが、新たな法制化が、わが子の福祉の後退になら ないよう、会員みんなで見守る必要があると思うこの頃です。


次につなげる40年に

日立重症心身障害児(者)を守る会
会長 佐 藤 芳 昭


   日立重症心身障害児(者)を守る会は今年で発足40年になります。この40年の障害者福祉について その変遷を見ますと、相当な勢いで伸びて来たのではないでしょうか。その要因の一つは何と言っても 障害者自身の声、そして親御さん達の声があったこと、二つ目はマスコミを含めた社会の人々の声、 それらを真摯に受け止めた行政の対応であると思います。当初は経済的支援から始まり、教育面、 国際障害者年を見越しての推進本部の設置による障害者対策に関する長期計画策定と障害者対策推進本部 設置等々、相当なスピードで障害者福祉施策が向上したのではないでしょうか。私どもの日立重症児(者) を守る会も世の障害者福祉の変遷と合わせ多くの方々のご支援、ご協力を得ながら今日まで頑張って 来られたのであり、この場をお借りして深く感謝申し上げる次第です。
 当守る会の発足当時は障害児(者)を持った家庭は世間から身を隠すようにひっそりとした生活を送って いたように記録などから伺われます。当時の社会(地域を含め)はそんな世相だったのでしょう。 これを思うと40年間の時の重さをひしひしと感じるのです。
 最近は障害を持つ人達の周囲の環境が大きく変わろうとしており、平成の大変革と言えるのではないで しょうか。ある知識人は障害児(者)福祉の逆戻り時代だ。又ある人は極端な表現でありますが暗黒時代 到来か?などと、あまりプラス指向の話をされていないのです。しかし、私たちはそれらの情勢を十分認識 しつつ、マイナス思考をプラス思考となるよう常に声を出していくこと、そして多くの人達から沢山の共感 を得られるような活動を進めることが重要であると思っております。
 皆さん次の40年後を目指してお互いに助け合っていきましょう。


守る会40周年

日立市太陽の家運営委員会
副会長 清 宮 烋 子


   かしま児童館の集会室で、日立守る会が発足して40周年を迎えることは、先ずは“おめでとう”と言う べきなのでしょうか。その二年位前から準備のための動きはあったわけですし、ごく個人的な話でいえば、 小林提樹先生を中心に発刊されていた“両親の集い”にはじめて出会ったのは、昭和35年のことですから 45年の歳月を何らかの形でつながっていたことになります。約半世紀ですから、出会いと別れが沢山あって、 私の人生に一番大切な「生命を考える」ことを教えてもらったと、心から感謝しています。
 みんなと同じように私も年をとりましたので、若い時代のようにお役に立てることはなくなりましたが、 長い間、その側にいつも居たということは、相談相手にはなれますし、51年間日立市民であり続けられた 中での人脈とか、知識もたまには役に立つこともある、と思っています。その中で「太陽の家」の存在は、 日立市が全国に自慢出来る素晴らしい成り立ちと運営を重ねて来たと思っているのに、国の福祉施策が 変わったというだけで、今までの形を続けられないという事が、何とも認識出来ない思いでいっぱいです。
 地方を、現場を大切にすることが国の目的ならば、日立市が市政をかけても守り通すだけの「太陽の家」 の存在と思うからです。平等に我慢すればよい事ではないと思います。全国にさきがけて創り出したことを、 その理念を守り続けて欲しいと思います。とは言っても、何年か前に新聞紙上を賑わした25年後は、 50年後は、という記事にあったように日立市が独立国にでもならない限り実現出来そうもない事を考える より、力を合わせて、知恵も出し合って確かな未来を掴みとる事を考えなくてはいけませんね。 ほうり投げられたボールを、どんな受け止め方をしたらよいのか、それをどう転がしたらいいのか、 目指すものは変わらないのですから実行あるのみです。


今後とも二人三脚で

日立市太陽の家
園長 小又 克也


   日立重症心身障害児(者)を守る会の結成40周年おめでとうございます。
 昭和41年に、『一人ももれなく守る』という崇高な理念に基づいて結成された日立守る会ですが、 その後守る会の運動の中から、昭和45年には『日立市太陽の家』が開設されました。重症児(者)の通園 事業がまだ法的には認められていない時代に全国に先駆けて実現されたわけです。その後今日まで、 太陽の家と守る会は共に支え合いながら、重症児(者)の幸せを願って歩んで来ました。
 さて、昨今の福祉制度の急激な改革を見ますと、特に私たち重症児(者)にとっては、将来を設計する ことが難しくなったようにも感じてしまいます。自立支援法の中でいう、いわゆる『自立』の理念をどの ように活かしていくのか、安心できる明日を創造するためにも守る会との二人三脚は益々重要です。 守る会の皆様、今後ともよろしくお願い致します。


日立守る会だより

日立重症心身障害児(者)を守る会
福祉制度のうつりかわり
有 馬 こ う


   平成15年4月、今までの措置制度も一部残しながら、支援費制度へと変わった。そのことは私にとってまだ新しいことで、どんなサービスを受けられるのか期待と不安が入りまじった。
 そして、デイサービスは週二回太陽の家へ通所、短期入所は愛正園に月七日の契約をして利用することになった。これに関しては前と大きな差は感じられなかった。しかし、居宅サービスが利用出来るようになったことは大きな進歩であり、私も娘も非常に助かっている。特に娘は六人のヘルパーさんとのふれあいが出来、喜んで受け入れ、私も胸をなでおろしたものだ。又、費用の負担がなく助かっている。
 支援費制度がまだ定着しない状況の中で、平成一八年四月から「障害者自立支援法」が施行される運びとなった。身体・知的・精神の区別を外し、一元化されるという。そして、一番大きく変わり、関心の深いことは、サービスに係る費用の一割を利用者が負担するということだ。今までの生活に直接響いてくる。
 障害の重い娘にとって、自立などということはあまりハードルが高すぎて考えられない。しかし、少し見方を変えて障害者の自立を考えてみると、色々な人々の支援を受けながら自分の人生を送り、その中で物を生産することは出来ないけれど、心に何らかの光になれることも考えられ、これは漠然とではあるが自立ではないかと思うこともある。
 自立支援法は利用者本人がサービスを受けて、費用の一割負担となる厳しい制度になったと思う。ある所の話では、障害者福祉は昭和三〇年代に逆戻りではないかと言った話をする人、又、新聞などに依ると、早く死んでくれということで、弱者切りすて施策になってきたと書いていた。障害者を支えてくれるのは、国や自治体の役割ではないのかと思っている。勿論自助努力は必要ではあるけれど。
 娘は在宅で暮らしたいという気持ちは強いようで、新しい法律に望みがあるように思われる。親亡きあとは施設でと考えていた私に、在宅での生活も視野に入ってきた。行政がしっかり支えてくれるのであれば、応分負担も心よく受け入れられると思っている。大切なことは障害者福祉の後退にならないように願って止まない。


頑張った学校生活

ほし組 田 尻 静 香(母)


 静香が施設で最初に通った母子療育ホームでは五年間、機能訓練をしていただきました。療育ホームでは、宿泊学習、校外学習など楽しい時間を友達と一緒に過ごしました。
 その後、母子療育ホーム内にあった日立養護学校助川分校に入学して二年生まで勉強をしました。小学生になってから、水泳をワールドスイミングに通って習いました。コーチと水中を歩く・泳ぐなどをして、五年間、水泳をつづけました。静香は学校のプールの時間が大好きでした。そんな中、水戸養護学校に小学三年生の時に転校しました。
 静香を六時におこし、家を六時四〇分頃出発しました。東海にスクールバスが迎えにくるのが七時三〇分です。東海から学校に着くのは、八時三〇分頃です。静香も大変でしたが病気もせず、小学校、中学校、高等部と十年間元気に通学することができました。水戸養護学校では同級生が二〇人で、男子一五名、女子五名でした。学校の行事は、水養祭、運動会、校外学習、修学旅行など楽しい思い出がたくさんありました。静香も高等部、三年生の一学期は寄宿舎での生活を体験しました。静香にとって、友達と生活をして協力しながら自分で出来ることは、自分でする勉強をしたと思います。本当に大切な時間を過ごしました。
 今は、太陽の家と東海村の「絆」に週二回ずつ通所しています。「絆」では一人一人が、自分にあった作業をしています。手芸班、陶芸班、木工班です。音楽の活動・ポコ・ア・ポコのコンサートなど発表会があります。毎日音楽の練習は一時間ぐらい練習しています。
 これからも、太陽の家のお友達や「絆」の皆さんと一緒に頑張っていきたいと思います。


「支える会会則改正のお知らせ」

 このたび、当支える会理事会(3月17日開催)において、当会で利用しております簡易保険団体加入について、日本郵政公社の団体取扱い規程の変更に伴い、次のように会則を変更しましたのでお知らせいたします。
 今回の改正は、日本郵政公社より早急の対応を求められておりますので、会則第13条の規程により、文書総会としましたのでよろしくお願いいたします。尚、ご意見のある方は5月31日までに当会事務局へお知らせ下さい。主な改正点は、別添会則あるいは太陽の家ホームページ内「支える会コーナー」でご確認頂けますのでよろしくお願いいたします。
 ※お問い合わせは
  日立市太陽の家支える会事務局
   TEL0294−22−2632


ご寄付ありがとうございました

○次の方から寄付をいただきました。(敬称略)12月〜1月
 日立ホーム・アンド・ライフ・ソリューション多賀向上会 黒澤弘明 小又千賀子 小又辰吉 中山達之助 浅川ちよ 日立厚生医院 嶋崎和夫 日立厚生医院内仁和会 くりや 小野瀬徳之 とく名 佐藤光子 とく名 善和会
○次の方から物品の寄贈がありました。(敬称略)12月〜1月
 松本スイ 菊地英子 与澤進 有馬こう 椎名則夫 中田美知子 菅原マキ 善和会 宮田尚子 人形劇かくれんぼ
△お知らせ▽
《4月》・お花見
    ・内科検診
《5月》・春の遠足
《6月》・父親奉仕作業
    ・三者大会
○新しいお友達
 大森郁子さん つき、にじ組のメンバーとして十王町から。よろしくお願いします。

編 集 後 記
 櫻咲く季節に日立守る会が発足40年を迎えた。命を守る活動に終わりはない。たゆまぬ努力に敬意を表し、更なる発展を願います。(S記)