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太陽の子  (秋の号) bP21   2007年  10月



目 次

1,私達のささやかな文化祭…つき組 浅川秀吾

2,社会福祉士、介護福祉士応援事業を実施しています

3,ディズニーを楽しむ事業に参加して

4,身体障害者相談員研修会に参加して

5,太陽の家奉仕作業と保護者話合いの集い開催

6,支える会からのお知らせとお願い

7,お知らせ

8,ご寄付ありがとうございました

9,編集後記


私達のささやかな文化祭

日立市太陽の家 つき組 浅 川 秀 吾
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「たまには普段と違う場所で、自分たちの作品を展示してみたい…」
ほぼ毎週水曜日に集まる私達、つき・にじ組エンジョイ・クラブのメンバーの何人かは、常日頃からそんな願いを抱いてきました。 「でも、どこでやるの?」と誰言うとなく考え始めると、途端に元気がなくなってしまいます。 そのような私達の様子に、太陽の家の職員の皆さんが茨城キリスト教大学に働きかけて下さり、 来る11月3日、大学の一室をお借りして、私達の夢が叶えられる事になったのです! 大学の皆さん、そして太陽の家の職員の皆さん、本当にありがとうございます。 現在、実演と出品が予定されているのは、私を含めて5名で下記のとおりです。 まず、足で描いた花や風景を出品する與澤幸夫さん。また将棋はつわもの。 初心者向けの教室も彼が担当します。太陽の家では、お話し好きな大森郁子さんは、 書き溜めた詩を朗読します。自動車の窓から見える景色が大好きな小林豊さんは、 太陽の家の仲間と出かけた思い出の場所を、特製地図で披露します。 手作業が好きな鈴木福江さんは、絵と折り紙で参加します。そして、與澤さんとの 合作である紙芝居実演と、パソコンでクラシックを演奏させる事を試みた、 その録音を浅川は出品する予定です。全員張り切っていますので、皆様どうぞお越しを。


社会福祉士、介護福祉士応援事業を実施しています     TOPへ

太陽の家では今年度の新規事業として標記の事業を実施しています。今、福祉の現場では、 世界的な規模で議論されている障害者の権利の見直しや、障害者自立支援法の制定などで、 職員に求められる理念や専門性がより重要になってきました。 このような状況の中、将来、福祉の現場で働きたいと社会福祉士、介護福祉士を目指して いる学生等に太陽の家の療育の場を提供し、重症児(者)との関わりを通して、その専門 性を高める機会としていただきたいと考えています。 呼びかけに応じ、今年度は下記の3名の方が参加し、活動を続けています。3名とも目的 をしっかり持って参加してくれているだけあって、太陽の家の利用者の皆さんと毎回良い 時間を持ってくれているようです。介助をとおして、実はいろいろな良い物を頂いている のは学生自身であることは間違いないようです。太陽の家での活動を通して、理念をしっ かり持った福祉の専門家を目指して、これからも頑張ってほしいと思います。

黒 澤 茉 美
太陽の家に行くと、その名の通りいつもお日様にあたったようなポカポカする気持ちにな ります。私は、行くたびに小さな発見をして大きな喜びを感じています。手に触れ体温を 感じた時の表情の変化・冗談を言って共に笑い合う時間・挨拶の仕方で気になるその日の 体調…。どれも一つひとつキラキラした宝物のようだと、私は常に感じて過ごしています。 体調も気分も太陽のように輝けない日もあるけれど、太陽の家に行けば輝かしい笑顔を持 つ人々がいて、共に支え合って生きていることを実感します。今日も私は、宝物を発見し に、太陽の家に向かおうと思います。

目 時 世 峰
私は、茨城キリスト教大学の学生で、社会福祉の勉強をしています。太陽の家には、市報 の募集で社会福祉士の応援事業を行っているのを知り、参加することを決めました。 月に1回〜2回ですが、利用者や職員の皆様と笑顔が絶えないくらいの楽しい時間を共有 させていただいています。 私の活動内容ですが、主に利用者の皆様とコミュニケーションを図り、私のできる範囲で 関わっています。 太陽の家では、私のできる範囲が拡大できるように、利用者理解を深めていきたいです。 利用者理解において、利用者のその人らしさや利用者の能力を尊重していくための声かけ や受容、個別化について学んでいきたいと考えています。 そのために、利用者の皆様と共有する時間を大切にしていきたいと思います。

飯 田 浩 子
私は、5月から太陽の家に人と出会うということを目的とした取り組みの一つとして通い 始めた。太陽の家は、その名前の通り、太陽の光のように明るい施設であるという印象を 受けた。太陽の家での活動は、週に一回ではあるが、私にとって貴重であり、とても楽し みにしている時間でもある。なぜなら、一週間に一度ではあるが、太陽の家に通っている 方々と出会うことができるからだ。また、太陽の家での活動内容は、私自身が夢中になっ てしまうほど魅力的である。同時に、太陽の家に通っている方と職員の方々が一体となっ て、とても楽しげな雰囲気で活動が進められていることに、感動を覚えた。このようなこ とから、今の私にできることは、太陽の家に通っている方々と共に、楽しい時間を過ごす ということである。そのなかで、太陽の家に通っている方が過ごしやすいよう、意識を配 りながら、多くの方と、楽しい時間を共有していけたら良いと考えている。


ディズニーを楽しむ事業に参加して     TOPへ

村 田 啓 子
昨年、みんなと一緒に行けると楽しみにしていたディズニー旅行を断念しなければならず、 理恵にも寂しい思いをさせました。ところが今年、日帰りではありましたが、太陽の家で ディズニー旅行を計画していただきうれしく思いました。雨にも降られたりもしましたが、 ミッキー、ミニーその他のキャラクターにも会い、又アトラクションでは目をキョロキョ ロさせ、理恵もうれしそうで、疲れた様子もなく楽しい思い出となった一日でした。親一 人となった今子供を何処かへ連れて行く事は難しく、この様な企画がなければ無理という 思いに、感慨も一入となったディズニー旅行でした。

小 林   操
7月17日安斉純子と小林順子のダブルじゅん子、そして、村田理恵さんとつばさ号でい つもの顔に囲まれながらディズニーシーに行きました。 ノスタルジックな電動式トロリーに乗ってきれいな景色を眺めながらレストランに行きま した。座席にすわるとミッキーやミニーちゃん等ディズニーの仲間たちが次々にやってき て写真を撮ったり握手をしたり、食べるひまもない程ふれあい誰の顔も笑顔笑顔、楽しい 時間を過ごして外へ出ると雨、皆元気にオープンしたばかりの船乗りシンドバッドと一緒 に冒険の航海を楽しみました。おみやげもいっぱい買いました。 これから親と離れて暮らす娘と私には素晴らしいプレゼントになりました。


日立守る会だより
身体障害者相談員研修会に参加して
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日立重症心身障害児(者)を守る会
会長 佐藤 芳昭


平成19年7月26日関東甲信越静ブロックの研修会が山梨県甲府市で開かれその研修会 で八代英太氏の「障害者福祉の戦い」という演題での講演があり、その内容を掻い摘んでご 紹介してみます。 八代氏は今年古希を迎えられる年令で、今の国会議事堂が建てられた年昭和12年に生まれ たそうです。山梨県の片田舎で産ぶ声をあげられましたが現在までの人生70年の内35 年間が車椅子の生活で頑張ってこられ、車椅子の生活になってから、その生活の真に大変さ を知ることが出来たと話されておりました。
氏は参議院そして衆議院と永い議員生活の中で大きく変わってきた日本の障害者福祉を振り 返り、その時々障害者団体がどう戦って来たかを証言したいと思う。と前置きし戦後の経済 復興に邁進してきた日本社会での障害があるがゆえに仂くことが出来ず、社会の偏見に涙し て生き抜いてきた時代から、経済が成長、財政的に安定し障害者の声を政治が聞く耳を持つ ようになり、身体障害者福祉法が生まれた。そして障害者の権利が叫ばれ、ノーマライゼー ションという新しい理念が言われ、障害者の憲法といわれる「障害者基本法」が制定され、 障害者の完全参加と平等が当り前の時代になって来た喜ばしい事である。
氏は山梨生まれであり、今NHKの大河ドラマ「風林火山」の信玄公の生き方についても話 された。武田信玄が日本で最初の福祉を進めたのではないか。信玄は城は一つも作らず、躑 躅ヶ崎の館のみで、そのような資金があるのならと、温泉を作り、戦で傷を負った兵や温泉 治療を必要とする人達の為に、それを提供し少しでも早く社会復帰出来るようにした。又障 害を持った者でも、力量があれば、(勿論品格も含め)どしどし引き上げた。一番良い例が 山本勘助である。戦国時代にまれなる配慮であり、目が不自由でしかも足が思うようでなく、 体には二百ヶ所以上の刃傷があったとか。信玄の下には二十四の武将がいた中で、あえて勘助 を取りたてた。また信玄公は我が子に目の不自由な子供がいたが、その子供の最も良い生き 方は何かを考え、自分にも、世の為にも尽せる生き方として僧呂になることを薦めた。 このことからも信玄公の人に対する思いやり、強いては適材適所の人材登用といったものを 伺い知ることが出来る。そして信玄は人を信ずる心が非常に強かった。信玄公は城は作らず、 人の心の問題である。その代表的なもの武田節の一節にある通り、人は石垣人は城、情は味 方、仇は敵…。である。すべての人が人間として共に生きる社会、そして自からが反省し自 から率先してやるこの精神こそ肝要である。立派な施設はいらない。そこに仂く、生活して いる人の心というものが非常に重要なのである。
人は知恵という財源を誰れもが持っている。これを有効に使うことである。氏が参議院に立 候補した際のキャッチフレーズは「車椅子を国会へ」ということで、当選してから参議院を 皮切りに衆議院についても改築し、総経費として1億5千万円で改築出来た。当初は25 億位かかるとの見方であった。これらは当事者の智恵や声を吸い上げようという考えもなく 机上での計画でしかなかった。矢張りその筋の人達の意見を聞くことの重要さを知る一つの 例である。この改築が契機となり、各地へ広がったとのことである。
又、氏は当初は無所属での議員活動であったが、福祉を確実に育てて行くには政権政党でな ければと自民党に入党したとの事。そして福祉関連の法律を見直しつつ色々とやって来た。 障害者自立支援法が施行されたが、費用負担の事が大きな問題となっている。
現在は国会議員ではないが、信玄の考え方を通して、仲間の声を自分の声とし出していき、 残された人生を頑張っていこうと思っている。以上のような講演であった。
何事もそうであるが、人の心の重要性と常に柔軟な考えが出来るように心掛けることが肝要 であると、講演から感じた。


太陽の家奉仕作業と保護者話合いの集い開催     TOPへ

去る7月7日午前中は太陽の家周辺の草取りと清掃奉仕作業を行い、午後は市障害福祉課か ら小泉様においでいただき、障害者自立支援法の内容について具体例をもとに説明と勉強会 を行なった。非常に有意義な内容であった。


支える会からのお知らせとお願い     TOPへ

「日立市太陽の家支える会」は、昭和45年、日立市太陽の家を資金援助をとおして支え るために発足しました。
発足後この38年の間に、法律や制度の変更があり、「支える会」にも様々な変化の歴史 がありました。新しい会員の方にもご理解を頂くために、ここで簡単にその変遷をまとめてみます。
1、発足当初は、日立、多賀、久慈浜各郵便局の支援を受け、簡易保険の団体加入による会員 で「支える会」を結成し、その割引額を主な財源としていました。
2、新規の保険団体加入が認められない時期があり、簡易保険に加入しないで会費により会を 支える「個人会員、法人会員」を新たに募りました。その結果、支える会は、会費を納入する 「個人、法人会員」と簡易保険に団体加入する会員との二通りの会員で構成するようになりました。
3、またその後、郵政事業の民営化の流れの中で、簡易保険の団体加入制度のあり方に検討が 加えられ、国が定める一定の基準を満たさない団体保険は原則廃止の方針があり、「支える会」 が利用していた簡易保険団体は継続ができなくなってしまいました。
4、「個人、法人会員」を残し団体保険は一旦解散という状況の中、団体保険を再度組成する ための申請を行い一年が経過しようとしておりますが、郵政民営化直前のこの時期、やっとそ の申請が認められようとしています。(本紙発行の頃は認可されていると思われます。)
申請が認められた後の対応ですが、新しい制度の中でのポイントは、
@会費を納める会員で構成すること。
A会の資金活動の一つとして「団体保険」の利用ができること。となっております。
今後、再組成が可能となった際は、「支える会団体保険」の会員だった皆さまへは改めて ご案内をさせていただきます。どうぞ経緯をご理解の上、引き続きご支援をいただけます ようお願い申し上げます。


△お知らせ▽     TOPへ

《10月》
 ・ふれあい運動会
《11月》
 ・人形劇(かくれんぼ)
 ・父親奉仕日
《12月》
 ・わくわくパーク
 ・クリスマス会
○退園
 ・小林順子さん(愛正園へ)
△お悔み▽
・金沢克也さん6月29日
ご冥福をお祈り致します。


ご寄付ありがとうございました     TOPへ

○次の方から寄付を頂きました。(敬称略) 6〜8月
黒澤弘明 有馬郷子 とく名 金沢博 善和会 春秋舎NPO法人ちえの和生活ホーム悠々 薄井澄子 小林順子後藤善弘
○次の方から物品の寄贈がありました。(敬称略)6〜8月
小泉完 大森光久 小俣四郎榎田清 椎名則夫 村田啓子古宮ヤイ子 清宮烋子 有馬郷子 沼野上香代子

編集後記     TOPへ

空も少しずつ季節を変えていよいよ芸術の秋、ひと味違う秋を楽しむなら茨キリの文化祭に出かけてみては? (K記)