太陽の子  (秋の号) bP25   2008年  10月     HOMEへ戻る



目 次

1,日立市で一生安心して自分らしく暮らしたい(自立した生活を…)/ 藤枝利教

2,生きがい支援事業を利用して / 櫻井敏幸

3,日立市心身障害者歯科診療所開設までの歩み(4) / 清宮烋子

4,日立守る会だより / 佐藤芳昭

5,生活の一部となった居宅介護事業 / 大久保澄江

6,重度訪問介護を利用して思う事 / 早川幸子

7,お知らせ・ご寄付ありがとうございました

8,編集後記


日立市で一生安心して自分らしく暮らしたい(自立した生活を…)

藤 枝 利 教
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私は、この写真のように手足や口が全く不自由です。できる事は、トッチヘッド(棒が着いている ヘッドギアをかぶり)でパソコンを打つ事だけです。
自分の意思でトイレへ行ったり食事を食べる時間を決めたりする事は、何よりも幸せな事です。 私もごはんの時間などを自分で決め、暮らしたいのです。 しかし私は、介助者なしでは自分の意思で生活する事ができません。常に、介助者が必要なのです。
現在、家族中心の介助です。でも私は、親や兄弟が介助をやるものではないと思っています。 例えば、夏の夜中の事。寝る前、脱水症状を防ぐために多く水を飲む。その結果、何回もトイレに行きたくなる。 そのたびに親を起こしてしまいます。次の朝、親は疲れたような顔をしています。
親が毎晩まいにち私の介助をやればストレスもたまります。ついつい口げんかも多くなってしまいます。 つまり、家族や親の立場よりも介助者としての立場が強くなってしまう事。親子の本来の愛情もうすれてしまう ことさえあるかもしれません。子供の手紙を断りもなしに封を開けたり、子供の物を勝手に動かしたりうんぬん で争いになってしまうケースだってあるかもしれません。障害者年金についても、金銭管理ができる人は自分で 管理をした方が良いと思います。これも自立の第一歩です。
障害があっても成人になったら親子は離れて暮らした方が、家族ともより良い関係が作れる気がします。 なので、日立市に私でも自立生活が送れる場が欲しいです。


生きがい支援事業を利用して

櫻 井 敏 幸
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3月からNPO法人化した『日立太陽の家』が4月から居宅介護事業を始めるとの説明を聞き、週一で利用して いたN事業所のサービスを増やそうかと考えていた私は事業開始と同時に『日立太陽の家』のサービスも利用し 始めた。利用開始から私の一番望んでいたサービスは身体介護でも家事援助でも移動支援でもなかった。
それは「宿泊を伴う外出における支援」であった。これまでハワイや沖縄への旅行を経験したが、それらに同行 してくれた妹は二児の母親となり私と旅行どころでは無い。何度か参加した大学の同窓会や数年前から参加して いる短歌の会の大会(特別歌会)に同行してくれた父の負担も大きい。「なんとか親兄弟以外の同行者を」と考 えて、N事業所に聞いてみたが支援できるのは日帰りの外出のみとの返答だった。昨年、高遠で行われた特別歌 会にも北海道であった同窓会へも行けなかったので今年、奈良の吉野で行われる特別歌会にはぜひとも参加した く思い、園長に支援の打診をしていた。
園長は私の思いを酌み、親身になってくれた。当初重度訪問介護の適応を考えてくれていたが幸か不幸か私の障 害区分は重度訪問介護の適応外だった。となると利用できるサービスは、移動支援のみとなる。行き詰まってい るところに「生きがい支援事業」の話があり、「これだ」と思った私は飛びつくように利用の申し込みをした。 対応してくれると分かったときは嬉しかった。園長と幾度かメールのやりとりをして具体的な日程等、希望の行 程を詰めていった。
当日は居宅介護でお世話になっていた菊地さんと園長が同行してくれることになった。家に訪ねてきた園長から 「せっかく奈良まで行くのだから…」と言われ、観光マップから奈良県立万葉文化館と高松塚壁画館に行きたい と希望し了承してもらった。チケットの手配を園長に任せ、私は宿泊地での部屋割りを三人同室にしてもらえる よう歌会事務局と交渉した。そして無事、二泊三日の珍道中?をしてきた。
これまでの特別歌会は父一人の同行だったので最初、二人の同行と聞いて面食らったが、いざ行ってみると人手 があって良かったと思うことも多かった。とても有意義な経験だったのでまたこの事業を利用して来年も特別歌 会に参加したいと思う。

特急の先頭まで見ゆるカーブありて蓮田の花にわれは気づかず

会終へて互ひに労ふ部屋の窓茜となりて谷は影濃し

櫻井作

車椅子乗りたる友の肩ごしに紅いろとなる飛鳥山あり
同行した小又作


日立市心身障害者歯科診療所開設までの歩み(4)

清宮烋子
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今回は中山理事長が著された「絆」を引用させていただきます。(文言を少し省略させていただいています)

−前略−
間所先生から東北大歯学部時代同級生で障害者歯科専門の斎藤峻先生を紹介され、同氏の協力を得て歯科診療所を 開設してはと相談されました。当時の飯山市長は大賛成、早速斎藤先生に間所先生から連絡、平成4年7月13日 太陽の家にお越しいただきました。8月25日には地元日立歯科医師会々長原田謙先生宅を訪問しご理解と協力が 得られ、その結果をもって間所先生と私は仙台に向い、東北大学歯学部々長の神山紀久雄先生と障害者歯科治療部 副部長の斎藤先生にお話して、日立に診療所が開設されれば、月二回診療に出向くことを約束していただきました。 この話を飯山市長に報告し、診療所開設に歩み出したのです。場所もメディカルセンターとか意見はありましたが 条件の整っている太陽の家内、丁度養護学校分校用二教室がありそこに開設していただくことになりました。 レントゲン設備や治療椅子ほかさまざまな整備をしましたが、神峰町の篠原歯科医院が閉院して治療器具の一部を 無料で提供していただくなど、いろいろな方にご協力いただきました。この様な経過から平成6年8月30日、 めでたく開所式を迎える事が出来ました。
初代の診療所管理責任者は間所芳江先生が引きうけて下さいました。−後略−

前述の社会保険医療診察申請はこのあと出された。



日立守る会だより


日立重症心身障害児(者)を守る会 会長 佐藤芳昭
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守る会全国大会に参加して

去る6月21〜22日の二日間、北海道札幌市の京王プラザホテルで開催された重症心身障害児(者)を守る会 第45回全国大会に参加しました。一日目は岡田喜篤先生の「重症児問題の原点」と題しての基調講演に引続き 四つの分科会に別れての討論と意見交換を実施、二日目は「アイヌの歴史と文化」というテーマで、札幌大学教 授本田優子氏の講演があり二日間の日程を終了しました。
今回の参加者数は1300人余りとなり、盛大な大会であったと感じました。
特に基調講演で岡田喜篤先生が話された「重症児問題の原点」については非常に感銘を受けました。紙面の都合 で多くは書けませんが、要約しますと以下のような内容であります。
まず重症児問題の黎明期から話を進められ、重症児(者)が現在までどのような歩みをして来たか、行政面から は、一般社会の面からは、そして重症児(者)を持っている親達の面からは、と話の内容を多角的面からの切口 で捉えての話は説得性があり時間の過ぎるのも忘れる程でありました。例えば、在宅の重症児(者)の方が遥か に多く、推計重症児(者)は全国で37,500人おり、その三分の二が在宅であり、重症児(者)問題とは 在宅問題にあると話されておりました。そして在宅重症児(者)を支えるためにはどのような施策が必要なのか、 そして重症児(者)には一貫した生涯支援が必要で、諸外国でも児(者)一貫の体制がとられている。 しかし現状ではその児(者)一貫体制を児と者を分離するような動きがあり、重症児(者)の児(者)一貫体制 は絶対に崩してはならない。親御さん方も十分これを認識し、児(者)一貫は成人の権利を認めない人権侵害で あると唱える人がいるが、それは実態を理解しない空論であり、確固たる信念を持って親御さん達は活動を展開 する必要がある。障害児を持つ親達は素晴らしいと言われており、その素晴らしさはどこから得られるのか。 それは、障害児とともに生きている間に何かを得ているように思われる。外国で障害児を持つ親の反応は五段階 に別けられ学問的に説明されているそうで、第一段階は衝撃、次に否定したい気持となり第三段階で悲しみと怒 りが出て、第四段階になると適応に変化し、最終段階で、我が子のひたむきに生きようとしている事実を見て親 の生き方を再構築するという過程を乗り越えて来ていることにその素晴らしさの得られる要因があるのではない か、そして最後に守る会の三原則を守り活動をして欲しい。と結んでの講演でありました。なお分科会につきま して、第三分科会「重症化する在宅児者への支援」というテーマでの話合いでしたが、短期入所の受皿がない。 重症児(者)に対する医師、看護師不足の問題等々、親達の意見発表があり多少の話合いで終了しました。


生活の一部となった居宅介護事業

大久保 澄江
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私が乳癌と診断を受けたのは去年の事でした。ショックでしたが、それ以上に心配だったのは私が入院している間 の娘の事でした。そして一番に相談したのは太陽の家でした。右の乳房を全て失ってしまいましたが、なんとか 手術を受ける事ができました。でも大変なのは退院後でした。
主人は肺気腫という病気の為日常の生活が制限されるので、今まで娘の事は全て私一人でやってきましたが、 これからは難しくなってしまいました。しかしNPO法人日立太陽の家が始まり、いろいろなサービスが受けられ るようになったのです。なんて幸運な事でしょう。太陽の家の入浴サービスは、機械浴とはちがい抱っこして自分 の家のお風呂に入れてくれるのです。目の見えない娘にとっては不安にならないで笑顔で入浴できる事は、最高に うれしい事です。入浴は週二回お願いしています。入浴の日の娘は、「こんにちは、太陽の家で〜す。」の元気な 声を聞くと大騒ぎです。身体を洗った後、浴槽に入って遊ぶのがお気に入りの娘ですが、職員の方と一緒に遊んで いる声が毎回聞こえてくると、「ああ、太陽の家に頼んでよかったナァ」とつくづく思います。
その他にも、いろいろサービスを受けていますが、私達家族にとっては、NPO法人日立太陽の家のサービスは 生活の一部となっています。今後は、職員の数も増え、利用者がいつでも希望する時間にサービスが受けられるよ うなNPO法人日立太陽の家になる事を願っています。


重度訪問介護を利用して思う事

早川 幸子
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4月より「居宅介護事業と重度訪問事業」を利用するようになり、今までの通園事業とは違った楽しみが増えたように思います。 帰って来た時には、目を輝かせて自慢げに今日の楽しかった事を話してくれ、それが寝る時まで続く事があります。 この日は、親子共にリフレッシュする事が出来ます。
しかし「地域での生活を可能にする受け皿」の中に、もう一つ入れてほしい受皿があります。それは「入院時の生活 を可能にする受皿」です。病院の中に居宅介護事業が入るのは、市からも難しいと言われ「考えてはみましょう」と の返事をもらった事があります。でも障害者だからこそ自分では言えない病状の変化の把握、本人の要求、そして一 日中介護しなければならない親の息抜きとして、「みまもり」の受皿が必要ではないかと思います。 親子共に、もう若くはありません。是非一日も早くお願いします。


△お知らせ▽
《10月》
・ふれあい運動会
・グループ活動
《11月》
・人形劇かくれんぼ来園
・日立守る会奉仕日
《12月》
・わくわくパーク見学
・クリスマス会

ご寄付ありがとうございました
○次の方から寄付を頂きました(敬称略)6月〜8月
黒澤弘明 上出光子 親切会関東支部 オパール会 三輪武子 とく名 西田文男 有馬郷子 浅川秀吾 善和会
○次の方から物品の寄贈がありました(敬称略)6月〜8月
椎名則夫


編集後記

空が高くなって、自分の影が長くなって、葉っぱの色がきれいに色づく季節。虫の声がリンリンと響きだしてまた違う 季節の訪れを教えてくれているみたい。夜が長くなったらちょっとだけおしゃべりも弾んだりして…。
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