太陽の子  (秋の号) bP29   2009年  10月     HOMEへ戻る



目 次

1,「NPO法人日立太陽の家」開所を祝して / 中山達之助

2,サービス提供責任者として / 三塚栄里子

3,積み重ねのおかげでした / 清宮烋子

4,三者大会から わたしが望むこと / 大森郁子

5,三者大会から 社会や地域の中で暮らす喜び / T・F

6,NPO法人日立太陽の家居宅介護事業所開所に思う / 佐藤芳昭

7,これから / 沼田洋子

8,太陽の家を利用して / I・Y

9,お知らせ・ご寄付ありがとうございました

10,編集後記


「NPO法人日立太陽の家」開所を祝して

NPO法人日立太陽の家 理事長 中山 達之助
     TOPへ

去る8月8日、念願の「NPO法人日立太陽の家」が完成し、その開所式がめでたく執り行われました。 利用者の皆様との記念撮影会やテープカット、そして来賓を迎えての式典など、和やかの中にも意義深 く開催でき心から感動しています。
日立市太陽の家がオープンしたのは1970年7月5日で、間もなく開園40周年を迎えようとしてい ます。現在まで市行政からは運営費を支出頂き、3年前には指定管理者の指定を受け、更に責任ある運 営を行ってまいりました。又多くの市民の皆様からは、諸々のボランティア活動でご支援を頂き、目的 達成を図ってきました。そして多様な障害を持つ皆様からは、日常の通園事業の中で、生命の尊さ、生 きる喜びを学ばせていただきました。保護者の皆様は、わが子を世界一の宝として、療育に専念し、そ の理念は、糸賀一雄先生の提唱された「この子らを世の光に」そのものでした。
さて、このような経過の中で3年前に国の制度として、「障害者自立支援法」が制定され自立して生活 を送りたい障害者を支援する法律が生まれました。このたび開所した一期工事は国、県からの資金援助 を受けず、永年にわたって「日立市太陽の家支える会」や市民から支援して頂いた「日立市太陽の家運 営委員会」の積立金を活用して「NPO法人日立太陽の家」事務所と日立太陽の家居宅介護事業所とし て一期工事を今回完成しました。二期工事は自立支援法を活用して、建設費など国、県に申請し、バス、 トイレ、キッチン付きの自立して生活できる個室「ケアホーム」を建設したいと考えております。
今年は日立市制70周年を迎え9月1日市民会館で式典が行われました。この記念すべき年に、福祉の 大進展を見ましたことを心から喜び合いたいと思います。


サービス提供責任者として

三塚 栄里子
     TOPへ

私がサービス提供責任者として居宅介護事業所に移動となってから、あっという間に半年が経とうとし ています。生活介護の現場から一転して居宅介護の現場に入り、不安の多い中でのスタートでしたが、 他の職員のサポートや利用者の方々の暖かい受け入れの元、やっと慣れてきたというのが現状です。
最初は日々のサービスに必死についていくという感じでしたが、最近では冷静になってサービスの質と いうものに視点を切り替えることが出来るようになりました。そうして見ると、利用者の方々やご家族 にとってどのようなサービスが最良なのかと考えさせられる事が多くなってきました。
現在居宅介護事業所で提供しているサービスは、法定サービスとして身体介護・通院等介助・家事援助・ 重度訪問介護。地域支援サービスとしては移動支援に加え、8月より新たに日中一時支援がスタートし ました。
どのサービスも各ご家庭で必要とされているスタイルに合わせて提供できるようにと調整を試みており ますが、まだまだ全てのニーズにお応えすることが出来ず、手助けを求められている時に的確なサポー トが出来ないことに、スタッフとしてももどかしさを感じながらの活動になってしまっているのが現状 です。それでも利用を希望され、楽しみに待っていてくれる利用者の皆様の声により多くお応えすべく、 スタッフ一同が一丸となって奮闘しています。
日中一時支援に関しましては、どのような内容のサービスなのかいまいち分からない、と思われる方が 多いかと存知ますが、現在のところは『午前もしくは午後に事業所を利用して、入浴を楽しんだりリラ ックスして過ごせる内容』が主流となっております。勿論入浴は希望しなくても大丈夫ですし、今後は その内容も利用される方々のニーズに応じて大きく変化していくと思われます。
9月からはスタッフが増えたこともあり、少しずつですがサービス提供時間も増やしていける状況が確 立されつつあります。居宅介護サービスを利用される理由は各家庭で様々だと思いますが、今後もどう ぞ遠慮などなさらず、いつでも声をかけてください。困った時、辛い時にはどうか我慢などせずに私た ちを頼ってください。
これからの居宅介護においてサービス提供責任者の役割は大きく、その使命はとても重いものです。果 たして自分にはどこまで皆様に納得して頂けるサービスを提供していけるのだろうかとまだまだ不安は 山積みですが、これからも『太陽の家の職員にお願いできれば一番安心です』と言って頂けることを喜 びと目標とし、皆様が毎日『笑顔』で『楽しく』『安心』して生活していけるよう精一杯頑張っていこ う!と思っておりますので、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。


積み重ねのおかげでした

清宮 烋子
     TOPへ

日立市太陽の家は障害児(者)の生命を守ろうと、守る会や市民ボランティアが声をあげ、日立市がそ れに取り組んでくれ40年前には法に定められていない施設として出発しました。
市は建物を作り、職員を配置してその運営を日立市太陽の家運営委員会に委託しました。「これは日立 市と日立市民みんなが守り育てていく施設である」と当時の市長萬田さんは話されました。それに応え るように立ち上がったのが「支える会」でした。そして「今はみんなが太陽の家を大切にしてくれてい るが、世の中はそう思ったようにいくものでない。お金は少しでも大切に、基金のようなものを作って おきなさい」と、本当にその通りでした。
支える会の経過については「太陽の子84号から89号(1975〜1999年)に昔話として書いて ありますが、2007年には保険団体加入会員はなくなっています。障害者自立支援法の制定その他を うけて、2008年NPO法人日立太陽の家を設立、居宅介護事業、日中一時支援事業、緊急一時保護 事業を展開するべく新しい施設を建設、2009年8月8日開所式を祝いました。続いて隣接地に20 11年完成の予定でケアホームの建設をと前進中です。
支える会の中の保険団体加入会員は移り変わる郵政事業の中でなくなってしまいましたが、この会費の 活動費として太陽の家に寄せられた金額の多さもさる事ながら、集金業務にかかわって下さった多勢の 方達のご苦労ははかり知れないものがありました。そうして個人名で沢山の寄付をして頂く時のような 晴れがましさは何一つないまま協力して下さった会員の皆さん−−一度だけ昭和50年7月、開園5周 年の記念号に当時の支える会会員1300余名のお名前を全掲したことがありました−−に感謝の気持 ちをお伝えしたいです。



三者大会から…わたしが望むこと


大森 郁子
     TOPへ

「この文章は平成二十一年六月に開催された三者大会で障害者自身が発表したものです」

私は、十数年前に歩く事が困難になりましたが、その時はまだ自分が障害者の対象とは考えられず、手 続きをしていませんでした。車椅子を使える状態ではなく、母は、自営業をしながら私を抱えて家の中 を移動してくれていました。周りから、障害者手続きを薦められ、診断のために病院を訪ねましたが、 そこでは前例のない難病であるために、いくつもの病院を回り、認定されるまでの道のりはとても長く 思えました。予想外の出来事に戸惑い、心身ともに疲れ果て、これまでの自分には感じなかった不安や 緊張が生じました。
障害者に必要な物品購入には診断書も必要とされ、その都度、通院して高額な料金を払い、他の書類に 記入し提出しなければならないという手間のかかることに不便さも感じました。車椅子の修理や選挙の 投票手続きに関しても二度や三度の手間と時間が必要とされるので、もっとスムーズに、なおかつ障害 者や介護者にわかりやすいシステムになることを望みます。
やっとの思いでリクライニング車椅子に乗れるようになったとほぼ同時期に介護サービスがスタートし、 すぐにお世話になることになりました。在宅で生活するには、ヘルパーにお世話にならずにはいられな いのですが、ヘルパー不足で諦めなければならない時も多々あります。年末年始や土日祝日、学校の長 期休みのときは来て貰えない日がほとんどです。そんな中でも最初の頃は、ヘルパーが運転する自動車 での外出が可能で、週に三回、天候に左右されることも少なく、何より、近所では用が足りない時には 隣街まで行けて、荷物が大きくても少し重くても持ち帰ることができてとても便利でした。その頃は料 金負担がなく、数年ぶりに出られて喜びの日々でした。
しかし、まもなくその制度は廃止され、徒歩で行ける範囲内の外出となって不便になりました。雨の日 や暑さ寒さの厳しい時は、買い物代行です。普通の車椅子ではないせいか、特に知らない人の視線は冷 たく思えて嫌な気分でしたが、気にしないように自分に言い聞かせて、外に出る楽しみを優先させまし た。
ヘルパー派遣が少ないため、母に負担がかかり、親子共倒れの心配もある中で、母の休養と私の入浴を 目的として、7年ほど前から短期入所を利用するようになりました。そこでは、介護員の疲れた表情や 思いやりのない態度がたびたび見受けられ、印象はよくありませんでした。また、入所者の高齢化と、 突然暴れたり泣きわめく場面は、衝撃的で居心地が悪く逃げ出したい思いでした。更に会話ができない 人が多く、接し方がわかりません。利用者は、外に出ることもなく、イベントがある時以外はするべき こともなく、食べて寝ての繰り返しで生き生きとした様子はなく、そこでの生活ぶりは、見たことのな い別世界に感じました。利用者の中には危険を判断できずに自走車椅子でぶつかってくることがあり、 そこに介護員の姿はほとんど見られず、緊張の連続です。朝から晩まで、いたずらする人と注意する人 が、まるでけんかをしているかのような大声が響く。穏やかな暮らしとはいえない所でした。自分に合 った場所とは思えず利用することがストレスになりました。
障害に差がありすぎるゆえのことのようです。その上、私が利用し始めた頃は、30人くらいの利用者 を夜勤一人で対応していたので、その不安を責任者に訴えましたが、「訓練を重ねたプロだから大丈夫 です。」という答えでした。新人の女性が夜勤のある日、夜中にコールを鳴らして10分以上待たされ ました。ドアが開くなり、「朝まで体が持たない……コールが多くて倒れそうです。」私はその言葉に 不安になりながらも励まし続け、少し元気を取り戻した彼女はまた次のコール対応に出て行きました。 私は、毎晩夜中に何度か体位交換をしてもらうためにコールを鳴らしますが、その別な日も待たせられ ることが多く、その都度、夜勤者が倒れてはいないかと不安を持ちながら、体の辛さに耐えなければな りませんでした。その数年後に施設全体に対して夜勤三人になりましたが、急病やよその施設の夜間の 火災事故のニュースを見るたびに、3人でもまだ足りないと感じています。夜勤者の増員と24時間体 制の看護士の存在がなければ安心して眠れません。私たちの命を大切に考えていただきたいものです。
3年半程前から、週に一度のデイサービスを利用させていただくようになり、明るく愉快な先生方と過 ごす楽しみのおかげで、生活に張りができました。買い物やカラオケ、ボウリング、苺や梨狩り、夏の 夕涼みやクリスマスのイルミネーション見学など、地元以外へ行く事もあり、新たな発見もできました。 欲を言えば、帰りの時間がもう少し遅くなれば、親の負担も減るので、家族背景にあわせて帰宅時間を 遅らせていただくことが望みです。毎日の暮らしの中で常に思うことは、安心で安全で楽しい日々を送 りたいという事です。障害の有る無しに関わらず、誰もが思う事ではないでしょうか。
車椅子で通る目的地までの道路は、凸凹や段差、斜めになっていて、転倒の恐怖があります。介助する 腕にもかなりの負担がかかり、怪我に繋がりかねません。時々見かける、ベビーカーを押すお母さんや、 老人カーを頼りに歩く高齢者も同じ思いでいることでしょう。自動車に優しいよりも、歩行に安全な道 路整備を進めて欲しいです。またこの3ヶ月・二人介助になったために、料金が2倍に上がり、自己負 担が増えました。一人増えた分は、こちらからの要望ではないので、補助金でまかなって頂きたいです。
春から、NPO事業所の利用で、リフトつき自動車に乗って、買い物やドライブが可能になったことで 楽しみが増えましたが、少ない台数でなかなか利用できない現状にあります。ごく当たり前の生活を送 るために、増やして欲しいサービスです。季節ごとの夜のイベント見学にも利用できることを望んでい ます。
夜から朝の間の親子二人は気楽さと心配の複雑な思いの時です。夜中に何かあったら…今まで何度か夜 中に母が不調を訴えるたびに、私は不安な眠れない一夜を過ごしました。24時間いつでも緊急時に来 てくれる人がいたら、どんなに心強いでしょうか。もしも、避難事態になったら、諦めるしかないので しょうか。近所の住民は、高齢者世帯が多くお互い手助けできない現状にあります。早急に対策をお願 いします。
現在、身体障害者を対象として入所及び短期入所できる施設は、高萩市と北茨城市の各一ヶ所、日立を 飛び越えてひたちなか市に一ヶ所で、短期入所者は二人程度受け入れの施設が多く、希望の時に利用で きないこともあります。この中での送迎付き施設が一ヶ所です。母は運転ができないので、この数ヶ月、 週末に施設利用のときは、福祉タクシーで片道約1万円を払って行っています。平日には、居宅の移送 サービスを利用して、自己負担がかなり減ります。
しかし、補助制度を利用しても、他の支出を合わせると1ヶ月の年金収入では足りません。全般的な料 金が下がって、自己負担も減ることで、当たり前の生活が楽しめることが生きがいにも繋がると思いま す。介護ヘルパー実習期間を1ヶ月以上の、長期間障害者との関わりを持つことで、就職後は、質の高 い即戦力になると思います。
利用者にとって楽しみのひとつになる個人外出が、ボランティア協力によって可能になると施設介護員 の負担が減るのではないでしょうか。障害者も一人の人間として生かされているのだから、粗末に扱わ れることなく生活したいです。
今後、日帰り入浴や、レジャーやイベントを楽しめるデイサービス、少人数の重度障害者同士が暮らせ る介助付きホーム、短期入所専用施設や高齢化によって、親が子供の面倒が見られなくなった時に、遠 く離れ離れにならないで暮らせるように、老人ホームと障害者のホームが隣接する施設、施設スタッフ の健康つくりや利用者のリハビリスポーツやイベントができる小規模体育館など、十分なスタッフを確 保して、近隣住民との交流ができる区域、日立市内の交通の便利な場所にできるだけ早く建設されるこ とを強く望んでいます。


三者大会から…社会や地域の中で暮らす喜び

T・F
     TOPへ

きょうは、有難うございます。この三者大会でお話しするのは、もっとふさわしい方がいるのでは?!と、 思いました。だけども、太陽の家「守る会」の佐藤会長さんが推薦して頂いたこともあり、せっかくで すので、高等部を卒業してからの体験と、これからの希望をお話します。少々、長く、お聞きづらいで すが、ご勘弁を……。あと、パソコンで話させて頂きますので、途中でパソコンが動かなくなる場合が あります。その時は、司会の方に読んで下さるよう、宜しくお願いします。では、本題に入っていきま す。
私は、水戸養護学校高等部を卒業してから、すぐ入所施設に入るようだった。私も、卒業する前は、施 設入所を希望していた。それは、家族に私の介助の負担をかけないためでもあった。でも私は、よく考 え、高校の先生たちにも相談していくにつれ、だんだん在宅生活を希望するようになった。
卒業式をした次の日、障害福祉課から「ある施設に一人空きが出た!! その話をするから明日にでも来て !」と電話があった。翌日、親と行った。私の意見は聞かず、もう書類さえ書けば施設入所は100% 決まっていた。だけど私は、その場で必死に抵抗、泣き、大暴れをした。福祉課の部屋の中をごちゃご ちゃにしそうだった。福祉課の人には、「今日は無理だから、一週間待つ!」と冷たく言われた。そん な冷たい対応に、親と泣きながら、帰って来た覚えがある。けれど障害福祉課の人は、いろいろと忙し く、無意識のうちにあんな冷たい態度をとってしまったのだろう。両親は、施設入所を断れば今度はい つはいれるか?わからないので、悩んだようだった。ついに一週間後、「日立市太陽の家」に月に2回 ほど、通えるようになったのだ。私は、とても嬉しかった。
在宅で生活をする事になったお陰か、友達や仲間も増え、様々な体験をしてきた。例えば、友達に手伝 ってもらい、私の詩(詩に曲をつけてもらって。)でコンサートをやったり詩の個展をやったりしてき た。あと、ある友達と夜中急に家を出て、松島まで行った時もあった。もしも入所施設に入っていたら、 こんな楽しい事は、できただろうか?!……。
その中でも、特に私の心に残っている体験を、お話しましょう。親友がいる三重県に、私一人で行った。 親友に出会ったのは、21歳の時。私と彼は同じ年だ。三重県出身のこの親友と出会ったきっかけは、 ある福祉施設で主催している「ゆきんこまつり」だ。これは、障害がある人もない人もみんなでスキー をするイベント。親友は、大学のボランティアサークルの部長として来ていた(少し女性目当てのとこ ろもあったが)。好奇心旺盛な私から、目立っていた親友に声をかけた。親友は障害者から声が掛かる なんて体験は初めてで、嬉しかったそうだ。それから、月に一、二回会うようになった。親友と会う日 は私にとって、とても待ち遠しく大切な日になった。親友は、「藤枝君みたいな障害がある人と、友人 になれるとは思ってもいなかった」と後で話してくれた。
親友と、美しいおねえさん達がいるスナックやフィリピンパブにも初めて行った。親友は「スナックや フィリピンパブに行くことも、立派な男の社会参加だ」と連れていってくれた。介助は美しいおねえさ んがしてくれた。吸い飲みでじょうずにお酒を飲ませてくれた。スナックなどにいった時は、いつも翌 日の朝4時頃まで町を歩いたり遊んだりした。
私が一人旅をするようになったのも、親友の一言がきっかけだ。卒業して数年後、実家に戻った親友が 「藤枝君だったら一人で電車に乗れるよ!ためしに三重県まで一人で来て!」と言ってくれた。車椅子 の後ろに「私は手足や口が全く不自由です。何かありましたら助けて下さい」と書いた看板を立てて、 日立駅から伊勢駅まで一人で行った。7時間の一人旅。少し無理やりなところもあったけど、とても 楽しかった。もう10回以上も親友に会うために、一人で三重県に行っている。おかげで、一人で電車 に乗るのを親も、納得してくれている。
一人で電車に乗る事に関しても、しゃべれる事が、何よりも大切だと思う。しかし、私の口は、みんな と違ってポンコツ。自由に口をむすぶこともできない。だけども喋れない、だからこそ、たくさんの楽 しい発見などができておもしろい。例えば、一人旅をしている道中、色々な駅員さんの意外な一面も見 られる。駅員さんに切符を見せる時はジェスチャーである場所を知らせる。でも、それだけではなかな か伝わらない。ちなみに伝わるのは5分位かかる。短気な駅員さんは、だんだん顔が恐くなってくる。 「しゃべれなかったり何もできないなら、一人で電車に乗るなよ!」と嫌な顔で怒ってきたおっかない 駅員さんもいた。他にも、言葉ではなく、文章にして私に伝えようとする駅員さんもいた。たぶん「し ゃべれないから相手が言ったことはわからない」と思ったのだろう。そういった経験をしながらも、外 へ出るのは、楽しくてたまらない。でも、喋れないだけで、心まで見てくれない人は大抵「こっちで言 っていることは何も解らない〜?!」と思いがち。今の世の中、残念ながらこういう人が多い。だけど、 自分の気持ちをすぐ口で相手に伝えることは、勉強や仕事ができるよりも何より素晴らしい。
私がトーキングエイドを打ち終わるまで待っていてくれれば、誰とでも会話ができる。でも、5分〜 10分待つことが苦手な人は、ほとんどが違う話を始める。私も悪いことでありながら「もういいや!」 と思う時もしばしある。そんなんじゃいけないと思っていても……。そう言っていながらも、いざとな ると焦ってトーキングエイドが打てなくなってしまう。こんなところが私もいけない。やっぱり、周り を気にしないでマイペースに最後までトーキングエイドを打つ強い意志が必要だ。私は打つまで時間が かかるけど、みんなもそわそわしないで最後までじっくり待っていて欲しい。私の言葉は、手紙やパソ コンのメールに似ている。手紙が相手に届くのは、一日、二日後。メールは、相手がパソコンを開かな ければすぐにわからない。私の言葉も伝えるのに時間がかかる。手紙やメールと一緒だと思えば、喋れ ないことは不便ではないし、不幸ではない。違和感あるのは意識の問題。待つことが苦ではない人は、 きっと私との会話がはずむだろう。でも、会話に沈黙ができるのが嫌いな人は、私との会話も苦痛にな ってしまう。かなしいことに……。
喋れないことは、不幸でも大変でもない。むしろ、たくさんの発見などができておもしろい。私だから こそ味わうことができる、楽しい体験がある。色々な体験を通して、人との出会いも豊かになっていく でしょう。私も口が不自由ながらも、私の人生までも変えるような出会いをしてきた。
私のホームページの取材が縁で、ある新聞記者をやっているCさんとも出会った。もう5年の付き合い。 福祉に全く縁がなかったCさんは、障害がある人と接したのは私が初めて。初対面の時は、どうやって 話したらいいのか?わからなく目もあわせられない様子だった。Cさんとのめぐり逢いは、本当に不思 議である。その後も、なぜかメールしたりまた何度かの取材をしてもらったりしていた。
ちょっとした物の弾みで、本「ミルク焼酎1:1」をCさんと一緒に制作するようになった。(この本 のタイトル「ミルク焼酎」は、私が大好きなお酒。牛乳と麦焼酎をわって飲む)。 本「ミルク焼酎1:1」 制作のため、二人で東京や三重県に行ったり合宿もしたりした。時には、外食やCさんの車で出かける 事もある。私の介助もCさんにやってもらう。介助方法も一つずつ私に聞いてからやってくれる。ある 制作一泊合宿の時、朝方4時頃Cさんは私に、この本のタイトルにもなっているミルク焼酎≠飲ま せてくれて帰った事もあった。こんな時間にお酒を飲んだのは初めての経験である。最重度の私、Cさ んは初めて介助をやった時はすごく戸惑ったことでしょう!?今では、私との会話は勿論、食事介助など 楽しみながらやってくれる。こうしている間に、Cさんの偏見は少しずつうすれていった。
この本「ミルク焼酎1:1」は、現在も製作中。本が完成したら、是非とも、読んで下さい。宜しくお 願いします。けど、Cさんとの出会いは、私の人生を大きく変えてくれた。深く感謝している。Cさん も、障害者に対しての差別や矛盾を解ってくれたと思う。こんな交流をしながら、私は社会の中で生き る楽しさや喜びを感じている。これから、望んでいる生活などを、具体的にお話しましょう。
24時間誰かに管理された生活は、私にとって最も窮屈なところである。プライバシーもプライベート もないに近い。私たち障害者も「人間」だから、24時間管理された生活はストレスもたまってくる。 それから、いつも受身で生活してしまうと、自分で考える力も笑ったり泣いたりする表情さえも無くし てしまう。なので私は、管理される生活には抵抗がある。
それでは、私が望む生活とはどんなものか……。食事のメニューも食べる時間も寝る時間なども、自分 で決めたい。あと、夜中でもお風呂に入ったりしたい。ちょっとした買い物位(スーパーなど)だった ら、前々から予定たてなくても出かけたい。住む所も自分で決めたい。自分のお金は自分で管理したい。 何よりも私は、社会の中で人の役に立ちたい。人から頼られる事は、何よりも幸せだから。ようするに 私は、ごく当たり前な生活をしたいだけ。金持ちになんなくても良い。いつまでも人間らしく生きたい。 社会や地域の中で、暮らしていきたい。
私たち障害者が地域で暮らしていけば、障害者に対する理解も深まり、誰もが住みやすい社会になって いくでしょう。今、学校でも、養護学校と一般の学校が別れています。障害がある子供とない子供、別 々に勉強しているから、偏見などがあると思う。子供の頃から、一緒に勉強していけば、偏見などが無 くなっていくでしょう。本来なら、普通学校に障害がある子供もいて当たり前と、私は思う。私は、 そんな事や世の中を変えるためにも、どんどん外へ出ていきたい。大きな夢だが、小学校などへ行って 私の文章や詩を読んでもらったり、生徒たちと話したりしたい。小学生の時から、私のような口さえも 不自由な人と接しているだけで、偏見がない大人に育っていくと思うから。小学校などに行く事も、私 には、介助者(トイレ介助、水分補給、車椅子を押す事などに。)が必要なのです。そのため、福祉制 度を利用していきたい。
現在、重度訪問介護と身体介護などは国の制度なので、自己負担額上限が3000円になりました。 だが、移動支援は、日立市の制度なので、自己負担一割となっています。外出をするほどに、自己負担 も大きくなっていきます。例えば、1ヶ月20時間移動支援を利用すると、自己負担は約7000円程 度になってしまう。そうしますと、重度訪問介護などと移動支援を合わせると、月1万円ほどになって しまいます。年金などで生活している私たちには、生活費などと相談しながら外出しなければいけませ ん。そのため、外へ出かける事もためらう。日立市の予算もあるので、移動支援も重度訪問介護などに 含めて自己負担額3000円とは言いません。でもせめて、移動支援も自己負担額上限が3000円ぐ らいになれば助かります。重度訪問なども合わせても、自己負担額が月6000円ほどで済みます。 そうすれば、生活する経済面に心配もなく、もっと楽しく外出が増えるでしょう。町でも、障害がある 人が歩く機会が多くなる。毎日、外出をして人との交流をするからこそ、一番の人間らしい生き方と言 えるでしょう。皆さんのためにも、是非ご検討のほど宜しくお願い致します。
私も、いつまでも社会や地域の一員として、笑いながら、より人間らしく自分らしく生活していきたい。 これが、私の一番の願いである。


NPO法人日立太陽の家「居宅介護事業所」開所に思う

日立重症心身障害児(者)を守る会 会長 佐藤 芳昭
     TOPへ

平成21年8月8日、一日千秋の思いで待っていた支援施設が開所の運びとなったことは会員の皆様は すでに承知のことと思います。この施設の最大の特徴は、何と言っても入浴設備を整備したことである と思っております。
歩けない、動けない障害を持った人達は当守る会々員以外にも日立市内にはまだいると思いますが、こ のような障害を持った方々に対し何が一番大変かと思うとき、最大の大変なことは、障害を持った方々 の入浴・移動であると思うのです。従って今回このような支援施設が出来たことは介護者の高齢化の中 では誠に大きな意味を持つことで、日立市をはじめ関係された方々に心から感謝するものです。
さて、たまに耳にすることで、「仏作って魂入れず」とよく言われますが、此の度の支援施設はそのよ うなことにならないよう魂を入れ過ぎてどうにもならなくなる位、大いに利用することでしょう。
利用対象者は当守る会の会員が殆どであろうと思っておりますが、当守る会以外の方々でも利用条件が 合えば利用出来ることであり、私達守る会の者もこれから大々的にPRし、第二、第三の支援施設が必 要となる位どんどんと利用したいと思うのです。
前述のように、子供は年々成長する中で、介護する親御さん達は逆に年々高齢化しており、今まで出来 ていたことが出来なくなっていくことを思うと、出来る限りそのようなサービスを利用し、無理せず健 康で生活することです。それが強いては子供にとっても大切な事なのではないでしょうか。
私達も古くて常に新しい事ですが、市内に入所施設をと声を出してはおりますが、なかなか困難な状況 であり、そうであるならば介護者を少しでも介護の苦労を軽減させるような事を考え、出来ることから 実現していくことだと思うのです。そんな観点からも、第二期工事のケアホーム建設計画もあり、現在 政権交代の関係で一時止まってはおりますが、そう遠くない時期に何らかの形で国会に提出され具体的 な動きが見られるようになるのではと心待ちしております。
私達は今あるサービスを大いに利用しながら次のサービスを考え訴え、介護をしている子供のためにも 少しでも健康で長生き出来るよう、努めていきたいと強く思っております。会員の皆さん方も一緒に歩 いていきましょう。


これから・・・

沼田 洋子
     TOPへ

平成19年12月。6時間かけて胃ろうと逆流防止の手術を無事終えました。幾つもの管につながれて はいたものの術後8時間経ってやっと面会出来た時は飛びついて抱きしめたい衝動を抑えるのがやっと でした。あれから約2年……。体調は良好。何より辛く切ない吸引回数が減少しました。逆に外出する 機会が増えました。
養護学校在学中に、この太陽の家に現場実習を体験させて頂いたのが始まりです。実習の時は感じられ なかった、素敵な心の汗を流す園長さん。明るくパワフルな職員さん達。在学中は学校待機の生活が主 でしたが、心配症の自分にはそれがかえって安心でもありました。太陽の家では少しの子離れが目標で す。今は週2回の登園。本格的な居宅事業もあり、これからが私達親子の色んな意味でのスタートだと 思います。8月からは「つばさ号」の登園もしています。乗せた車を送った時は心配でしたが、帰宅を 迎えた時の顔は心なしか誇らしげに胸を張っているように見えました。
皆さんの力をお借りしながら親子の成長の手助けをして頂けたらと願います。
日中一時や短期入所と様々なチャレンジが待っています。内心はドキドキですが、無理せず前進してい きたいと思います。皆様宜しくお願い致します。


太陽の家を利用して

I・Y
      TOPへ

母子療育ホームの助川分校に小学部4年生までいて、その後日立養護学校に移り、高等部を平成19年3 月卒業して4月から『太陽の家』を利用することになりました。
太陽の家で、生活介護を週2回利用してから、かおりに笑顔が沢山でるようになりました。
グループ活動で海浜公園・十王パノラマ公園・カラオケなど行って楽しかったのか家に着くと、疲れて寝 てしまうことが多いです。私が連れて、出掛けることが少ないので助かっています。8月にNPO法人日 立太陽の家に変わってから居宅介護事業の移動支援と身体介護を利用するようになりました。移動支援を 使う時、家庭の都合の悪い時『愛正園』を短期入所する時、自宅に来てもらったり、2時間の散歩をお願 いしたこともあります。その間に部屋の片付けが出来て助かっています。身体介護では、娘が重くなって 大変なので『入浴サービス』を利用しています。今は、入浴サービスを利用する人が多いので、空きがあ る時入れてもらっています。職員の数も増え利用者が、希望する時間にサービスが受けられるように願っ ています。


△お知らせ△

◎10月18日は《第44回ふれあい運動会》です。スポーツの秋、みんなで楽しみましょう。

ご寄付ありがとうございました
○次の方から寄付を頂きました。(敬称略) 6月〜8月
親切会関東支部支部長高田佳昭、中田美知子、有馬郷子、善和会、とく名、佐藤瑞昭、浅川秀吾

○次の方から物品の寄贈がありました。(敬称略) 6月〜8月
椎名則夫、浅川ちよ、小泉和美、大森邦子、安斉純子、大森健二、阿部結花、佐藤栄子、榎田 清


編集後記

編集後記 木犀の風に誘われて通りを歩いてみた。サクサク、かさかさ、靴が嬉しそうに笑っている。 スケッチブックを広げていろんな色のクレヨンを重ねていく……暮れかけた陽の朱を足したらきれいな 紅葉の風景が広がっていた。夕日の朱に紅葉の朱、あなたの笑顔のほっぺの赤色にありがとう。(K記)  TOPへ